Enter The Void

1991, Tokyo. A trader from the country side. Book

溺れるナイフ

溺れるナイフという少女漫画に私の大好きな本がでてくる。

その漫画では、田舎のインモラルなバイオレンスヤンキーの癖にやったら難しい本ばかり読んでいる主人公カミュの「シー̪シュポスの神話」を読んでいるシーンが度々印象的に描かれている。まさしく無駄に難しい本ばかり読んでいる元ヴァイオレンスヤンキーの私は物珍しさについつい共感してしまう。

 

この作中のヴァイオレンスな本好き主人公コウちゃんがグレちまったのにもちゃんといくつかの理由がある。そのメインリーズンは当時付き合っていたナツメという女優予備軍のけったいな女が性被害に遭い損ねた際に助けることができず、彼女からのそもそも身勝手な崇拝を失ったことをきっかけに坂道を転げ落ちるように暴力に奔ったことだった。

 

そうして描かれる王様だと信じていられたころの自分を失って過ごす足場のない日々だとか、無敵だったころに出会った愛する女性のひとみに映るどうしようもない苦しみだとか…が克明に描かれていて、個人的な体験にオーバーラップし過ぎてしまい、この漫画はぶーぶー文句言いながらも最後まで読んでしまったのだった。私が溺れるナイフを読んでいたのはちょうど留学から帰って住所不定無職へと進化を遂げたころだったから、私もヴァイオレンスヤンキー同様に死ぬほど「本物のおまえの目に映るのが辛い」かったのである。

 

しかしこの作品。モノ申したくて仕方がなくなる超展開をみせる。

 

まず弱々しくって自分を愛して泣いてばかりのナツメちんは、事件をきっかけにコウとぎくしゃくして別れた後、よりによってコウの親友だったお日様みたいに明るい男の子とふら~っと付き合う。それでもコウちゃんは彼女にとって宿命の人。大友君と甘い時間を過ごしながらもコウちゃんはいつもどこか忘れられない存在のようで、度々邂逅いたします。

 

そんなある日、ナツメはコウちゃんに無残にも強姦されてしまう。挙句の果てにそうして再びコウから離れられなくなってしまうのであります。も~おまえらどういうことやねん。闇。まず女の子を殴って意のままにする人外を美化していることに強烈な嫌悪感を感じました。(コウの行為はどう考えてもサイコパスとしか思えないものが多く、彼の世界には自分とナツメしか存在していないんですよね。要するにエゴイスト。彼の犯罪は終始 美しく描かれています)ナツメが遭遇した事件と絡めて、ナツメとコウが抱えている性のハンディを描いていたのならまた意味は変わると思うのですが、どうにもそうは思えない。そうして散々支えてくれた大友をこれ以上なく傷つけて別れるんですよね。もう意味わからない。おっぱっぴー。西洋人が読んだらポイっと投げられてしまうくらいフェミを激怒させそうな超展開だと思う。

 

けれど、そのヴァイオレンスレイプ魔が読書家だというギャップや少年たちが大人へなっていく時の流れの取り扱いも含めて、なんだか離れられない魅力を放った漫画なのです。

 

ごめんねたまってたの。いつかこの漫画については鬼の様にこきおろしたかったの。

 

 

レンズが写す恋

中央線沿いの桜の綺麗な動物園で、ギャーッ!とけたたましい鳴き声が聞こえました。

思わず顔を上げてその声の先を見ると、あまりにも美しい光景が広がっていた。誰かこの瞬間をカメラにおさめてやくれないか、と祈らずにはいられないような、ルノワールを天界から呼び寄せてこの光景をキャンバスに移して欲しいと思ってしまうような、胸が締め上げられるような光景。

 

顔を上げた先にあったものは、静かに目を閉じ泣きじゃくる赤子のほっぺに顔を寄せている女性でした。頬を寄せて赤子をあやす姿ならよく見かけますが、その女性は目を伏せて顔を正面から子供につけてそこにいるのです。そしてその瞬間に泣き止むお子ちゃま。彼女は黒いスリムなつなぎにヒールに帽子が似合う今どきの少しギャ~リ~な女性でした。

 

泣き止みなさい!と叱るのでも、よいよいあやすのでもない。

言葉ひとつかけず地面に膝をつけ、ただ目を閉じて顔を寄せている。そこから滲み出る愛情の深さと、そこだけ確かに時間が止まったかのような静謐さ。ただ「ここにいるから、ずっといるから、大丈夫」と無言で伝えるように、そしてそのことを伝えられる限り我が子の不安は癒えて泣き止むのだと信じて疑わないかのように。

 

彼女の周りにだけ風が吹いているみたいだな。

こんなことを言っていいのなら、あの瞬間恋をしていたんだと思います。

 

凄い。あんまりにも凄い。

どうしてこんなことができるんだろう、と、ベンチで茫然としました。

 

こんなに無駄にでっかくなって、二十八年間必死に鍛えて生きてきたものがバラバラと地面に落ちて行った。二十八年間生きてきて、必死に追いかけてなにかを形にしたところで中身は泣いている子供のままで、私が人生で本当に求めていたものなんてたったひとつ。ただこんな風に女の人からしてもらいたかっただけなんじゃないかー。

 

だとしたら、なんて悲しいんだろう。いくつになってもなにを積み重ねても、虚しくて醜いということじゃあないか。「なんだよ、僕はいっくら鍛えたって永遠にマッチョになんてなれないじゃないか」と聞こえてきます。

 

そして、私はそれが永遠に叶うことはないと知りながら、少しずつ確実に弱っていく年齢と体と共に運命と呼ばれているようなものに抗っているのだから。私を覆う殻は脆弱で醜くて故障している。連休に公園で見たこの世で一番きれいな光景は、私をとてもとても悲しくさせ、それでも世界の美しさを教えてくれました。それは残酷な恋でした。

 

遠き春よ

物凄くお久しぶりな感じがします。春になると変な人がわくと言いますけど、私は今半裸で部屋を暗くしてYOKOさんの英語チャンネルを流しながら発音練習をしつつこの記事を書いているのであながち間違いではないな…と悲しい実感を得ました。春じゃなきゃこんなことやんねーわ。久しぶりに感じるのはきっとブログとTwitterしか友達がいない毎日故に変なことばかり更新していた自分がいつにも増して手抜きの中途半端に正常人の様な記事をパパっと書くだけで冬が終わっていたからだと思います。来月で四月ですよ。信じられますか。私の愚かな二年間がこうして過ぎ去っていきました。

 

今私は集中的に取り組みたいことが3つあって(分散してんじゃん)、もうつくづく自分を惨めにしておくのが嫌になって、変えようと思い過ごしています。ここ数か月出費をぐんと抑えることにも成功して、無駄とりのコツも分かってきて。それでもまだまだノンストレスで暮らせているので、もうちょっと余分なものを削いで必要なものに投資できるのかなあと思っております。

 

今世界は、日本は、危機を迎えていますねえ…。

それでもきっとこの危機を諸国が乗り越えるころ、日本はただただ更なる問題があぶりだされて、疲弊した人々の死体が死屍累々と重なっているだけで、相変わらず一部の悪人がのうのうと暮らす国になっているでしょうね。ここがどこであれ、ここが一体なんなのか見つめることにシンプルな面白みがある。例えばそれが大嫌いな国でも、それはシステムという大きな人間を超えた本であることに違いはない。そうして私は自分の人生を築き上げて切り開いていくことにする。ここがドブのドベだろうと変わりない。おっぱいのない人生サイコー。

 

私達が今幸福の為に時代に要求されていることは、この悪しき構造を見抜いて新しい形を作り上げること。悪人たちが最も憎むストーリーは国民たちが賢く幸福へ向かって歩き出すことだ。そういう強いinclusiveな人民たちになってしまったら、悪人たちはオロオロ困ってしまうのだ。天気の話しかできない人々を食い物にしてきたのだから。このまま陳腐なオツムの一切を見抜かれないで生きていけると思っているのなら、それはきっと大間違いだろう。

 

加害者たちが被害者を「愚かで」「惨めな」非行扱いするときのテクニック、圧力はいつだって狡猾でたくみだ。(記者を黙らせるときの短小どものやり口を見るがいい)だからこそ私達は、その構造に、最も打開しがたい被虐の構造にNoと言わなければならない。今、日本語でまともな文章を読むことは私達が思っている以上に難しいことだから、翻訳を使ってでも英語を読むことが必要だと私は思っている。哀しいけど、日本に生きていると男をコテンパンにできる実力のある女性たちが乱立しない限り新しい風は起きてこないと思ってしまうねえ…なんまいだー地獄に落ちやがれだ。

 

 

いつの間にかブログが友達の私の独り言になっていたよw

 

 

恋しさと切なさリモートワーク

新卒採用を行わない外資での暮らしも二年となり、遂に私も先輩になることになりました。それも、教育係として…ああ懐かしい言葉の響きだ。思えば学生時代の部活動にも「教育係」というものがあって、皮肉の効いた文学青年(三年間浪人してさまよった苦労人)の双子の兄と一緒に携わっていたっけなあとしみじみ懐かしみました。一緒に小学生みたいにふざけてフュージョン!はっ!ってしてましたね。

 

思えば私にキルケゴールの「死に至る病」を教えてくれたのは彼で、「だんさんみたいに人生挫折したことある人なら分かる。絶対に共感できる。絶対に分かるよ!」と失礼極まりないsuggestionを繰り返し受けて推しに推されて読んだのがきっかけでした。結局気に入って遠路はるばるマルタにまで持参し、「アジア人の黄色い肌をした同性愛者である自分自身を抜け出してしまいたい」ような苦しみを慰められたものでした。しかし彼はもういない。死に至る病を教えてくれる兄は、もういない。

 

だけど、理想の人生やビジネスを垣間見せて教えてくれた人ならいる。

それが私の会社、そして上司だった。

 

今日は会社初のリモートワークテスト日でした。「いいだろお」「はかだろうだろうぉ」「最高だろぉ」とご機嫌でスカイプしてくる上司。犬の散歩してやがるし。ウケる。最高。熱を共有できるっていうのは仕事の醍醐味。私はこう見えて案外暑苦しいので彼の様な価値観をもった人が上司で本当に良かった。二足歩行を見限っている私がドライにならないで済む本来の純な気持ちでぶつかれる会社に出会えてよかったよ…。

 

会いたくて会いたくて震える。

世界中に散っている仲間たち。叶うことのない恋たち。その残骸も含めた。

今じゃ面影も怪しい、何も知らない0だった二十代の自分…。もしもあなたが熱のある異常値の人間ならば、きっとあるべき異常値に導かれるはずです。そのときも孤独からは逃れられないでしょうが、確かにその形は美しいものに代わっているでしょう。なんちゃってえ。

会いたくて会いたくて震える

妹が私のラインを無視する。欠陥住宅の壁の中をキィィッと言いながら駆け回って排水管を噛み千切るネズミちゃんs' (漏水の原因はすべて彼らにある)に起こされた真夜中に未来のノーベル文学賞候補作を思いついて報告してやったというのに!(主人公はアル中の父親と二人暮らしの新卒二年目長距離通勤に耐えながらセクハラに耐える毎日就活では航空会社を受けたけれど容姿もスキルも精神的な成熟度も追いつかず全敗 意志薄弱で傷ついている薄ら寒い現代的ニンゲン 昭和の日経企業でいけ好かない事務に従事トラウマはペットを住んでいる田舎町の村民に毒殺された上に警察がもみ消したことそして彼女が唯一確信していることはこの生涯”村”から逃れられることはないということ

惨めな彼女の支えはストリップ劇場しかしある日踊り子が影で客から金を受け取っていることを知り失望

そんなある日一大行事の”悪態祭り”でテロが起きる 憎き村人たちはアル中の父親ごと燃やされてしまった 犯人は変人だと村八分にされていたイスラム教徒モハメットさんそれを見た彼女は生を悟って軽トラに軽油を積んで向かうはライブシアター栗橋さあすべてを燃やせライターをかちッ ※実在する人物・場所とは一切関係ございませんフィクションであります)

 

上の青字を読んでくれた人いたら凄いですね。申告してください100円あげます。

そんなこんなで女の子のテロ小説が生まれた先日ですが、困ったことにこの一週間必ず夜中に起きてしまって眠れない。まずい、このままでは宇宙にノーベル文学賞候補作が何本も生まれてしまう。ヴィーナスよオフィーリアよヘラよ神々(女性限定)よ私を(優しくナデナデちゅっした上で)寝かせてくれ、頼む。それにしてもなぜ妹は返事をしないのだろう。私の未来のノーベル文学賞候補作がちょっと難解過ぎたのかな?

 

 

…という訳でこのザマなので、暫く小説チャレンジはなさそうです。豆腐の角を崩さないように優しく撫でる練習をすると大変女性に悦ばれるというtweetを見て大興奮でいいね(旧お気に入り)もしたところだしそっちにリソースを割きたいと思う。それでは来るべき運命の実地体験日の為に早速今日からガチレズで検索して出会いを漁るのか?というと、そうではない。

 

私は近ごろ色々考えた。

というか、心も頭も性能が良くないのでいつだってrevise revise revise で考えてはひっくり返している。そうして悟ったことは私には女性からの好意を受け入れることはできない、ということだ。私には早々安易に受け入れることはできない。応えられない。相手が誰であろうと変わりはない。アリアナ・グランデに告白されても無理。(底辺は時々凄いことをいう) 自分という不良債権は私が背負っていれば充分だし、無謀で危険な冒険も私一人が出れば充分なのだ。

 

けれど、私が人にも自分にも隠し続けているような、本当のボトルネックになっている諸々を乗り越えることができたなら、本当の意味で自分と人生を受け入れることができたなら、その先にはなにか違う形があるのかも知れない。

 

そこを…目指しちゃう…?克服しちゃう…?とりあえず…三カ月刻みで…?

 

 

より一層忙しくなってきそうなこの状況。追いかけたいものは沢山あるよね。

 

先日ベテランさんの二人目の退職者を見送った。

「もうやだ~泣いちゃう~」と笑い泣きの彼女に、ゲイの先輩が「会いたくて震えちゃう」と横やりを入れて「台無し~!」といつも通りコントの様になっていた。

しかも彼らの間では西野ネタが流行っておりメスライオンの頂点の様な怖ろしさを醸し出していたベテランさんは「最近面白くて毎日聞いてるよ 重いな…(突然の男言葉)」と言っていた。

 

私達が実際に会いたくて会いたくて震えたら目の前のニンゲンは戸惑って震える。間違いない。それでも何らかの形で私達の人生は交差するものなのか、それも確信がもてない。飛行機に乗ってしまえ、それだけだ。

 

 

 

ではこれはなんだ?小説ではない。これは罵倒であり、讒謗であり、人格の毀損だ。言葉の普通の意味で、これは小説ではない。そうだ、これはひきのばされた侮辱、「芸術」の面に吐きかけた唾のかたまり、神、人間、運命、時間、愛、美…なんでもいい、とにかくそういったものを蹴飛ばし拒絶することだ。ぼくは諸君のために歌おうとしている。

 

--------ヘンリー・ミラー「北回帰線」

 

実際私は君を夢の中で裸にしているんだよ

もうそろそろ真面目に生きようと思う。

 

田舎から大都会へ帰る月曜日。

アスクルで注文した会社の金で飲むコーヒーは美味いコーヒーにウォーターサーバーからお湯を注ぎながら、「ああ…ちゃんと人間たちだ…」と職場の先輩方の平常通りの賢く誠実なムードに心からの安堵を憶える。かっこいい。好きだ。抱いてくれ。

 

何もない田舎へ帰ることで暮らしから降りて癒されていたここ最近だけれど、やっぱり私は「ちゃんと人間と暮らしている」と自分が感じられない場所には帰れないなあ…とまるで家無し子になったような喪失感(再)を味わっております。ごめん、私、やっぱり「基本的に」、田舎の性格の悪い了見の狭い人たちを人間だと思うの、無理だわ!すまん!これが私のhate.

 

 

もうそろそろ真面目に生きようと思う。

 

 

今週の土日は田んぼの中を重たい体を引きずって走りながら、将来どうやって一人で輸入をするか算段を立てたり発酵について学びながら発酵したり嫁をちゅちゅちゅの刑に処して濃厚接触しまくったりしていたりした。ことのきっかけは自分の胸いっぱいにひろがる怒り、憎しみ、悲しみから自分を守る為だったのかも知れないけれど、小説を書いてみようと思ったりしているし、酔いどれギタリストをしたりしている。二足歩行が織り成す社会と望まない形で関わることはないので、暇なんですよ。私。ある意味じゃあ守銭奴みたいに暇を守る人生さ。だって自分に忙しいからNE★

 

 

 

はい、頭書の件。

ところで同性愛「差別」というものについてみなさんどう思われますか。

 

だんちゃんは人生で山椒を丸呑みしたくらい!痺れるくらい!嫌な思いをしたことがありますよ。しかしね、「どうしても生理的に無理」「怖い」という方々がいることについては、驚くほど正常なことだと思っております。

 

というもの実際問題私はこの人生で四人くらいの女性(うち三人ノーマル)を脳内で裸にしてきたんですよ。事実ですよ。みんな好きになったか付き合った女性さ。そんなことをされるリスクのある人間を瞬間的に生理的に避けたくなる感情は自然の摂理だと思うわけでございます。

なんとなく女性陣が男性と距離があったり採点が厳しかったり警戒心が強くなったりすることは普遍的な現象であるからにして、そこに加えて更になんか見た目ゴリラみたいな男性的な漢が隣にいて同性愛者だって分かったら良いようのない拒絶感をもってしまうことは無理もないと思います。私。(だから先輩は私の人生からいなくなっちゃったのかな。やっぱり。)

幸か不幸か惚れづらいので無差別テロみたいに脱がせてないんですけどね…(無用な弁解)ほんでもやっぱり嫌な人はいると思う。やっぱり。

 

その「嫌なカテゴリの人」に対してどう接していくのかというのは私達ニンゲンの課題なんだろうなあ。冒頭で私が晒した憎しみだってさ、そのヘイトを織り成す信念、イデオロギーと目の前に現れた新鮮な他者に対してどうオープンであるかという問題は実は無関係で「それはそれ、これはこれ」でしかないのだと思う。

 

同じく、私がまんこもおっぱいも大好きだからって目の前にいる女性をそういう「物体」として扱うわけじゃない。そういうことだよ。(キマッタ!)

君たちを決して許さない

そして先日誤って0.2mmのマニアックなシャーペンを買ってしまったので活用すべく本日は手書きブログを作成しようと思い書き始めるも二行目にして紙にガシュガシュ突っかかる感覚が嫌になった挙句いつもの妙に縮んだ己の癖字までほとほと嫌になり漢字練習ノートの如くでっかくバランス良く書き直した部分が「嫁と結ばれたい」であった。嫁が何足歩行かという点については推してはかるべし。

 

ニンゲンと正常に愛し合える人間からすれば想像もつかない世界だろうが、猫を愛する人間は猫を愛している。結構深刻に目にいれても痛くないほど愛している。小さな頭を撫でながらおまえが死んでしまったら爆発してしまうよひぃ~ん一緒に死のう~とヒステリーを起こしてむせび泣いたりする。(定期)その間も呑気にゴロゴロ言われるんだからたまらない。こんなにも何も知らないチミに天命が襲いかかる日のことなど考えたくない。そしたらきっと私の方がそんな敵をぶっ殺してしまうだろう。猫が好きな人間は最も利己的な人間である。と、グルニエが言っていた。間違いないだろうな。ソースは私。

 

 

さて、それでも今日の私は人権擁護者だ。

私は君たちの行為を決して許さない。ひねくれものが世界でえばりちらす君たちの悪事を暴いて糾弾してやろう。

 

コロナウィルスを皮切りに主に欧米でアジア人差別が噴出している。ニュースもSNSも読むに堪えないエピソードの宝庫だ。どうやら今日まで白人様の微笑みの裏に隠されていた差別心は、コロナウィルスの非常事態によりスマートに隠していられなくなったらしい。ニンゲン、だっさー。猫ちゃん、サイコー。例えばいじめが横行する学校で「イジメについて」作文を書かせてみるといい。「イジメは最高に快感です」と宣うクソガキは一匹もいないに違いない。これが普遍的な本音と建て前だ。内心アジア人は3ランク下と思っていた一部の白人様たちの本音がこれで聞けるってわけだ。今日まで先生への作文は上手にやってたみたいだけどね。

 

もしも「イジメはクールじゃない」という流行作りに成功すれば、イジメは実際に減るだろう。しかしそれは、道徳感や心からの共感による抑止力ではないだろう。「イジメをしないオレたちはクール」というナルシズムが強化されるからこそ、彼らの暴力的でエゴイスティックな行動は抑止されるのである。

 

ところで私の推し上司が時短勤務の女性に寛大な顔をしたがる。「お子さんの熱は下がったかい?」と尋ねる時、彼はいささか紳士的な自分に満足していることだろう。もしも彼にかわいらしい正常なナルシズム、ヒロイックな熱い夢がなかったら、弱い時短勤務の女性の立場は正常に守られなかったのかも知れない。これは拍手喝采で許容範囲だ。彼は理想を、夢を追いかけている。

 

 

しかし、私達は知っている。肌の白い彼らが社会に要請されるままに、お行儀良く、差別心なんて微塵もない顔をして私達に微笑む時、その微笑は私達ではなく実は彼ら自身に向けられたものなのだ。その手は私達の頭を撫でているようでその実彼らの一物を撫でているだけだ。上から手を差し伸べられることで自慰に利用される二重の苦しみは被差別階級のいじめられっこにしか分かりようもない。欺瞞への強い怒り。

 

 

私はそんな人間を許さないぞ。

 

 

君、まさか目の前にいる弱い女たちが君たちに気づいていないとでも思ったのかい。

被差別階級に知性があるなんて思ってもない哀れな君たち。被差別階級のみんなからお見通しだ。

肌が黄色いとみるやコロナ呼ばわりしている様なおバカさんたち。精々黄色いサルに石を投げ返されてから泣くことがないように、今のうちからたんまり反省したまえ。