Message in a bottle

1991年生まれ。読書、映画、音楽、アートが大好き。英語・トレーニングが最近のターゲットです。

アメリカで人生を取り戻した私の先生の話

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このままだと私は「海外生活雑学ファン」になる…

1日あたりのアクセスが3しか無いブログ運営によって数円の広告収入を生むか生まないかすら怪しい(多分生まない)田んぼの横の下水路のような存在になってしまう。

忙しいこと、充実していることが大好きな私の人生の岐路に差しかった静かな試練である。

 

アメリカ・イギリス・オーストラリア3国については学費バブルと称される学費の高騰が起きており、遂には本当に選ばれし富裕層の世界へと年々変貌しているそうだ。

 

学生時代から心の奥のなかで光っていた大きな夢。

私は、第二言語を用いて意識の高い学生の中で単位をかけてサバイブする海外の大学院生活に強い憧れを抱いていた。

 

 

きっかけはゼミの教授だった。

 

彼女の授業は新入生向けでも厳格であることで有名で、授業は明瞭で期末試験も歯ごたえがあった。緑色のドレスに紫色の髪。ことあるごとに「アメリカでは~」と遥か米国の学生事情を引き合いに出してくるのだが、それと同時に「アメリカのBoy Friend」が口癖の、可愛い先生だった。

 

 

そんな先生の経歴は、目を見開くものである。

 

彼女は学部を卒業後、大学のカウンセリングルームで働いていた。

しかし、自信の無さが日に日に膨らみ、遂には同僚の悪口が聞こえてくるようにまでなって退職。

2年に及ぶ人生模索期間を経て、現代の来談者中心のカウンセリングを創ったカール・ロジャースのワークショップに背水の陣で挑んだ。

それが彼女の転機だった。

そこで出会った海外の仲間が「あなたからは東洋のパワーを感じるわ」と彼女を認め、励ましたのだ。

最終的に、彼女は見事ロジャースの推薦で奨学金をハントして、アメリカでPhDを獲得した。

 

1000人に1人のサクセスストーリーだと思う。

 

 

 

通常ゼミは2年制だが、彼女は定年退職を迎える為に1年間しか我々学年のゼミを担当することができなかった。つまるところ、彼女のゼミを選択すれば、4年時の卒業研究は別の教授のゼミになるわけだ。当然、誰も行きたがらない。

そこにたったひとり応募した変人が私ということである。

 

 

 

私と紫色の髪をしたアメリカンな先生の、マンツーマン研究生活のはじまりだ。

前述のとおり、アメリカ帰りの先生はなんでもアメリカを引き合いにだした。

アメリカは論文の手法に厳しく、論文の書き方だけを記した厚いテキストに沿って書く必要があるとのこと。また、どれだけ厳しくアメリカの学生が勉強させられるか、等。

指導は細かく厳しかったが、上等である。それを求めて入門したのである。

 

この1年間がどれだけ私をワクワクドキドキさせ、励ましてくれたかはここに長々述べる必要もないほどである。

私の情熱を認め、私自身を認め、喜んで伸ばしてくれる先生だったのだ。

今でも私の健全なアイデンティティの形成を彼女が助けてくれたと思っている。  

 

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このままだと海外雑学王ニートになる!と思った今日、部屋で「限界だなあ」とつぶやいた。離職期間がいたずらに伸びていく。

 

そしてこの記事を書き出してみたら、思い出すのはアメリカンな先生と追いかけたアイデンティティ研究のことだった。

私は当時、ジェンダーもしくは過去に焦点を当ててアイデンティティの形成を研究したが、今の私の興味関心はもっと未来へ放射状へ伸びていくものだ。

自分自身が一本になるあの瞬間の自信に満ちた喜びや、未来へ歩いていくアイデンティティのこと。

 

少し過去の実績を振り返ってみようじゃないか、とレジメなんか引っ張り出してみた。

先生との1年でワクワク作った膨大な資料がそこにある。

 

 

過去は変えられない、だから良いのかもしれない。

こうして数年の時を経ても、やはりそこにルーツはあるのだ。