Enter The Void

1991, Tokyo. A trader from the country side. Book

私は銃ではなくペンをとった

変化や治癒の初期段階はしばしば悪化しているようにみえるということをとてもよく知っていた。蛹を切り開けばそこにあるのは腐りかけたような芋虫で、半ば芋虫で半ば蝶というような神話的な生き物は決して見つからない。そんなものを探し求める人間の魂の象徴としてはぴったりなのだが。そうではなくて、変態の過程はほとんどすべて崩壊なのだ。 

 

 パット・バーカー「再生」

 

このブログに記事を投稿し始めて以来、一貫して書き連ねてきたのは決断と変化の最中のジェットコースターのような心のこと…時に飛翔し、簡単にまた落ちるそんな心と暮らしのことでした。今もそんな私の心をを支え続けてくれている言葉を、今回は冒頭に引用しました。

 

どうしよう、お盆休みを満喫していて投稿できない間におよそ二十日間分(当自比)は書くことがたまってしまいました。一日当たりの最低おしゃべり量が決まっている人間がいるように、私には最低書きたい量が決まっているのかも知れない。書いて書いて書きまくれ!そこで首記のセリフを思い出しました。

 

 

恐らくそれは私が臨床心理学を専攻していた頃かその手前にどこぞの医師から聞いた最もスウィートで残酷なウソです。なんでも二キ・ド・サンファルという著名なアーティストはかつて家族からモラル・ハラスメントを受けた過去があり、「私は銃ではなくペンをとった」と言って家族相手に訴訟を起こして勝利。その内容は映画にまでなったとか。

 

私がはじめてこの台詞とアウトラインを聞いたときは雷に打たれたような衝撃でまるで己の生きる指針も決まったかの様な気持ちでしたが、後からよくよくGoogle先生に聞いてみれば医師から語られた彼女のドラマを裏付ける情報はなにも引っかかってこなかった挙句、私は銃ではなくペンととったというセリフが存在すら怪しいのであります。 

 

そもそもニキは自作の作品を銃をぶっ放して破壊することで有名な女性です。

彼女が幼少期の虐待やその後患った神経症により澱んでしまったエネルギーを銃を撃つことで発散し、その依存性が恐ろしくなって一時は自ら銃を手放したというエピソードは今でもOnlineで確認できます。実際の彼女は銃の代わりにペンをとったどころか銃で破壊することで心の器に並々澱んだなにかを破壊して空にしていたのあります。

 

 

ところで先日、US女子が突然「マイブームって何故起きるかと思う?」と聞いてきました。マイブームの原因のひとつは空虚感だろうと私は答えました。

 

しかし、英語にはPros and Cons(良し悪し)という表現があります。私達が心にもっている空間はPros and Consで、それをHollow, 空虚と呼ぶこともCapacity, 収容能力と呼ぶこともできると思います。日本ではよく失恋した人を「空いたスぺースにはきっと新しいものが入ってくる」と慰めますが、まさしくPros and Cons、その通りだと私は思うわけです。

 

変化や決断には痛みと長期的な投資が伴います。

 

最初の一日目。深く深く落ちくぼんだ心の穴を見つめるとき、私達はそれを虚しく思う。空間はただただ痛ましく感じられる。一週間後。一体なにをもってして蓋を閉じたら良いか分からなくなったり、挙句の果てに自分はその材料になるものをなにも持っていないことに気づいたりする。失望感は続く。

 

けれど、その広大な空間を一人で引き受けて歩き始めた時、確かにそこに新しいものは入ってくる。そして、最早ぽっかり空いた心の穴を覗いても以前の様には虚しいとは感じない。空いた空間を自由に使えるという清々しい事由への喜び、一人で抱えて歩けたという自信へ変わっていく。喪失は私達を強くする。

 

そこで冒頭へ。

 

やはり変化の過程は確かに崩壊に似ているし、その過程は時に悪化し逆戻りしているかと思えるほど、芋虫と蝶々がどろどろに溶け合った境のない形をとるのだ、きっと。

 

 

 

……どこまで伝わったか分からないけれど、そんな話をお盆にUS女子としておりました。(長い。)

 

そして今日、私の空間には英語。新しい本の1ページ、アイディアのひらめき。

まだ見たことのない景色…。今日も低気圧で憂鬱な、されど希望をもって歩く新しい日。あの ニキ・ド・サンファルがとったのはやはりペンではなく銃だったとしても、私は生きる為に書こうと思った。