Enter The Void

1991, Tokyo. A trader from the country side. Book

命と和解?

またまた一万字ほど書くことが溜まってしまいました。

先日のエロエロ楽園のスベスベパラダイスのことで頭が一杯なわけでは決して…

 

 

 

あるんですけどね。

 

 

 

ところで最近、しこりですとか、なんだとか、ただでさえ多い秘密の体調の悩みがまた増えまして、デリケートな気分になっています。一応わたくしもメスなのね…🌹と感じる瞬間であります。この性格なので、実際は悪夢にうなされて日がな胃をしゅわしゅわさせながら絶望的な気分に襲われている。(悲しいかな、いつものことです。)

大変な不良物件、欠陥住宅である。女性はこんなやつにつかまらないほうが良いんだよ。石油王にくらいならないと、私の欲しいものはどうにもならないのさ!HAHAHA!

 

そうしてひとつひとつの障壁をリストアップしていくと、果たしてなにから手につけたら良いのか分からないほどに私の私生活はトラブルだらけになってしまうのでございました。それに比べてビジネスってなんて簡単なんだろう。結局は実力でどうにかなっちゃうじゃん。なんて、不良物件が偉そうなことを呟いてみます。

 

けれど、猫になりたいとぴーぴー言葉にできるあたりからしてみても、どうやら私は停滞感を超えて小さく一歩一歩の変化をドライブしながら歩いているようです。

 

しかし、最近ふっと思った。

 

よくよく思えば私は否応なく背負ったハンディというもの、己の出自の如く選択の効かなかった天命というものと本当に心から和解しているのだろうか?

だって、これまでの様にそういった天命や己の人生と戦って抗っている限りでは、先天的な規定は不条理である以上に自発的に選びとったドラマとして認識されるわけである。しかしそれを止めた時、年を重ねて運命も尽きたとき、果たして心の底から私は自分の生命と和解しているのだろうか。考えてみたら恐ろしい。

 

 

はなはだ。実に疑問なわけである。

 

 

私は変えること、戦うことで今日まで生き続けてきたわけだから、そうでない人生が想像できないのだ。誰かと愛し合っている穏やかな人生、変わらぬ今日を望む人生。

誰にでも制限時間があって日に日にそれは短くなっていくのだから、永遠に変えること、戦うこと、未来の為に生きることでは、そりゃもう生きられないじゃあないか。

 

あなたはどうしたらその命と時間のノイローゼから解放されると思う?とUS女子にとても心配そうに聞かれたことがあって、「やっぱり信頼できる女性との愛かな。」と答えて「We need an woman, good good woman」とかふざけて終わったんですけど、どうなんだろうな。分かる?誰か分かる?!

 

 

自分自身の生命と和解すること=他人から愛されることではありえないわけで、自己の問題が他者で解決されるという考え方は危険だし、なにより私は大嫌いだ。そのたぐいの弱さは若いころから軽蔑している。

 

しかし、もしも言うならば自己との関係性が平穏に保たれたとき、己の生命と和解した先に他者と生活・魂面で程よく融合するという愛が実現されるのかも知れない。