Enter The Void

1991, Tokyo. A trader from the country side. Book

掛け違えたボタン

気が付けばしつこくぶり返した口内炎も跡形となく消失し、あはーんなしこりは増殖し、狩りの季節が終わって楽しかった日の残骸の様な甘ったるいシャインマスカットを苦虫を噛み潰したような顔で食べているうちに月曜日が金曜日に変わり果て、私は忙しない日々の中で体重だけは蓄えて日々を過ごしている。

 

自主自立の栄光の荒野を歩いているのか一直線に世間の言う”孤独な不幸”へ突っ込んでいるのかたまに分らななくなるのですけど、少なくとも数か月前に言えなかった問いかけに躊躇いなくYesと言えることだけは確かだ。(抱きしめてくれる人もいない家に帰って、手に負えないような責任を負うことになったとして、あなたは一人でもやるんだね?)

逆に、こんな当たり前の問いかけに即答できなかった時代もあったんだなあと少し驚いた気持ちになりました。あの頃君は、世間に何を与えてもらえると期待していたんだい。確かなものは君自身と筋肉、そしてチップとクラブの美女のぬくもりだけ。将来的には金と吉原だろ。(なにもかもダメじゃん。)

 

 

日に新たに、リセットを大切にしたいといつも思うんですよね。

それができたらどれだけ暮らしの質は上がるのだろう、一瞬一瞬を過ごす心持が変わるのだろう。例えば瞑想でも、日記でも、家事でも、方法はなんでも良いのだけれど。

その一日のうちに一瞬だけでも、自分の舵をきちんと取り戻して今ここに存在して考えることができたなら。そんな女に私はなりたい。

 

 

変えようとするエネルギーに対して、セルフコントロール、即ち恒常性は対極にある収めるエネルギーだ。今、きっと私はコントロール力が強くない。探している。新しい街並みや、新しいコミュニティ。新しいウィット。自分が誰かと分かち合える新しい優しさの可能性。消費している。消耗している。なにも思うようになる気がしなくって相変わらず負けそうになっている。この先誰か大切な人が待っているなんて到底思えないでいる。本当はこうして日本に暮らしていつだってどこか砂を噛む様な心持なのだ。

 

長期的な投資の価値は分かっているし、成功している人は等しく常人離れした積み重ねをしているとつくづく分かっていて、本来なら自分も思いっきり走り出したい癖に、もう私も年をとったなあと思う点がひとつ。私はきっともう現在のすべてを未来の為に用いて賭けることはできない。やれやれ、なんやかんや三カ月近くこうして新しい暮らしを求めて歩いてきたのに、まだまだボタンの掛け違いは続いているのだ。長いでしょ?!

 

でも、日に新たに、明日は明日を大切にしたい。泊まれる本屋さんで沢山の出会いを楽しんで、ノートにどんどん情報の鍵のネットワークが、幸せのネットワークが増えればいい。