Enter The Void

1991, Tokyo. A trader from the country side. Book

今は会えない大好きだったひと

駄文中の駄文。恐らくこれは私がある喪失から、ストリップを大好きな女になるまでのちょっとした過程なのかも、知れない。

 

その昔、私には今は聴くことができないレコードの様に思い出を大切に抱きしめている女性がいた。風の便りで元気に幸せになったと聞かせて欲しい女性がいた。(もしも誰かがこの記事に目を通してくださっていたら、こうして供養のお手伝いをしてくださってありがとうという気持ちです。)

 

私がその人の声を最後に聞いたのは、結局、大学の卒業式だった。

彼女は臨床心理士の道を歩もうと大学院へ進み、後輩である私達と同じタイミングで大学を離れることとなった。その日、なんとか私と彼女はしょぼくれた卒業パーティーので同じカメラのフレームに収まることができたけれど、男子を含んだ同期たちは彼女とあいさつをする機会に恵まれず、その日はずっと先輩とすれ違いのラインをしていたのをよく覚えている。

 

一通りお世話になった道場や共通のバイト先などにも挨拶をすませ、四年間の私達の血と涙と笑顔がしみこんだ駅で、さあこの誇らしいでこぼこパーティとも解散!というときに、彼女と最後の電話がつながった。

落ち合えなかった謝罪を互いに繰り出すなかで、「本当にありがとうね」と真剣に言う声色に終の別れの響きを感じとった私は、呆気にとられて一瞬言葉を失った。きっとまた会えると信じていたから。これを書きながらほんの少し涙がでた。何故ならその悪い予感は当たって、それが本当に終の別れの瞬間となってしまったからだ。

 

学生時代の自分にとって成長を見守ってくれた本当に大切な人だったせいだろうか。初めてきちんと書くし、いざこうして書こうとすると果たしてどうしたら良いのかサッパリ分からないのだった。なんて読みづらいブログなんだろう…今日も今日とて自分にガッカリしているけれど、少しずつ始めてみる。今も私を支えてくれている大切な思い出を表すために。長い思い出のなかで書ききれることなんてほんの一部だろうけれど。

 

 

その方とは学生時代の部活動で知り合った。

小柄で落ち着いた人だった。彼女は空手道部の副主将で、私はその派手髪の不器用な問題児だった。「Danは分からない。はい、しか言わないから」と言われていたように、私は部活では委縮してなにも言えない後輩だった。

 

宇多田ヒカル椎名林檎と本が好きな人だった。彼女は別の学科から臨床心理への夢の道を走っていた。なんだかそれだけ言ったらとってもよく似ているのになあ!同じ副主将まで育った後も、先輩と私はまるっきり似ていなかった。

 

 

当時私は長距離通学していて、折角の大学生活だれれどアルバイトの時間をを除いたら精々週に1-2回のアクティヴィティが限度だろうなあと思っていた。ほんならオンリー私だけバンドを組もう!とSNSに呟いたことが話題になって、友達に親しまれることになったくらいだ。大学の仲間は優しい秀才で、その一員でいられることをとても誇らしく思っていた。私は彼らのことが大好きだった。今、会社の仲間を眩しく追いかけていのとまったく同じ様に…。

 

しかし、それがどうして偶然朝の呼び込みをする先輩たちの姿を見て空手道部に門をたたいてしまった。学内でも厳しいと有名な空手道部の門に。

 

彼女はとても不器用で勇敢な人だった。いつも私たちを厳しく叱った。

けれど、その心の裏にはいつもあらん限りの思慮(葛藤)と私達への優しさが隠れ居てた。私はそれを知っていた。変わり者の自分が有名な過酷な体育会に入部して半年という頃、体力も辛かったけれど、私にはそのカルチャーや人間関係がなにより辛く、馴染み切ることも受け入れられることも上手くできなくて、退部を視野に入れて真剣に悩んでいた。限界だった。その最後に相談をもちかけたのが彼女だったのだ。「あたし?!」とびっくりされていたのを今でも覚えている。

 

彼女からの贈り物。雲の上の先輩との接点はその日から始まった。

彼女から激励されたことをきっかけに私は自分の殻をブチ破ることとなり、最後には彼女と同じ副主将になって後輩たちを育てて引退することとなったのだけど、その間ずうっと私達一人一人に関心を向けて誰よりも応援してくれていたのは彼女だった。今思えばまるで上司と部下の様に、私は彼女の引退後もよく報告も相談も受け止めてもらった。私の友達の院試の相談ですら受け止めてくれたこともあって、一緒にディナーへ行ったこともあったくらいだ。今でもその日のことを鮮明に覚えている。

 

そんなこんなで私は誰の目に見ても「先輩ラブ」だったので、そんな気持ちは鋭い彼女にとって大変なストレスだったに違いない。「早くだんに良い人見つかるといいなあ」だとか、「だんにそんな浮いた人ができて嬉しいよ!」といった発言にはじまり、(笑)なんとか本当のことを白状させようとしている様に思える場面がよくあった。

その極めつけのセリフが下記で、「だんは男より男らしい!いばらの道でもかきわけてくし刺が刺さっても気づかない、男の人じゃ物足りないんじゃないかなあと思って」

 

白状するなら今だぁっ!!!!というタイミングだったのだけれど、私はシラをきってなにも言わずに流してしまった。結局私が本格的に悩んで池袋デヴューしたのはその一年後のことになるのだけれど。

 

あまりにもまとまらない思い出話をツラツラとしてしまったのだが、これは長い学生時代に思い出のほんの一部だ。結局何が言いたいかと言うと、私は学生時代お世話になった彼女が今日も元気にしていてくれたら良いなあということ。

人は恋をすると恋愛感情にスポットが当たって、その人との関係を書き換えてしまう。

たくさんあったはずの幸せも、確かにあった筈の別の愛の形も、悲恋という不幸に変えてしまう。

きっと私にとって彼女は唯一の私が「染めてしまわなかった人」だ。大切なまま、今も感謝で胸が一杯のまま、彼女のくれた愛を私は何らかの形で継いでいる。今日も、明日も、未来も、私は誰かへ還すだろう。先輩がたくさんくれた愛を。