Enter The Void

1991, Tokyo. A trader from the country side. Book

凍てついた十一月

(後記: 疲れすぎてしょーもねーものを書いてしまった…)

 

田んぼとコンビニしかない町の家で私だけを除いて”団らん”する家族がたてる音を聞きながら、食事をとりに階下に降りることもできず一人で息をひそめて暮らしていたころのことだ。

 

私の叔父は働かなかったが、毎日カバンをもって仕事に行くふりをして家長として君臨していた。彼ははねっかえりの私の魂も暮らしも支配して殺すことに熱心だったが、私は当時から矛盾が許せず彼とやり合っては「ハンスト」をする子供だったのだ。

 

私は日がな読めない英語のHome Pageを夢中で追っていて、大好きな女優さんやラウドロックバンドにアクセスしていた。あんなにきれいで強くなれたら良いのに。勇敢にゾンビを蹴っ飛ばして。ほかに心にそっと抱きしめる人はいなかったから、私は中学を卒業するまでの三年間の間ずっと生徒手帳に彼女の写真を挟んでいた。お守りの様だった。その人は多才で、ギターを弾いて自分の曲を書いてロックバンドを組んでいた。今でもHPから無料でダウンロードできるはずだ。その彼女も、自分に夢を押し付ける「売れなかった女優」の母親と、離婚して別居することになってしまったウクライナ人の父親への愛に引き裂かれて荒れた十代を過ごしたらしい。子供のころのヒーローはヴォルテールで、カンディードが愛読書だったという。そんな小さなエピソードが共感を呼んで難しい十代の心に寄り添ってくれた。

 

兎に角映画が好きだったから、まるで流行りのブレストの丸と線みたいに派生して浴びるように音楽を聴いて海外文学を読み漁る私生活を過ごした。自宅の扉を開けて快活な少年を降りたら最後、私はエスニックなベールのなかにいた。

 

そんな風に子どものころに住んでいた荒涼な世界のことを、私には確かに夜中に夜道へ抜け出して煙草を吸いながら「見えていた」「聞こえていた」としか表現することができない。しかし、思えばどんなに損なわれていた時代も静かな確信の中にいた様に思う。きっと不死鳥の様に息を吹き返すだろう。胸ときめくロマンの金塊にたどり着くだろう。

 

その音を聞いている人は他に誰もいなかったけれど、私には確かに聞こえていたのだ。路地を走るタクシーと荒々しい砂の音。スコールがトタン屋根を打つ音と子供の泣き声。犬の怯える鼻息。地中海で思い思いに寝そべる女性がサングラス越に灯すライターの音。教会の鐘の音。モスクへ誘う甘い旋律。

 

 

それにしても、今日は寒かった。昨日終電までファンシーなところで飲んでいたところ朝は今日も今日とて読書会にお邪魔していたので、体力が削られていたのだろう。

子どものころはブックオフで100円で買える翻訳本が世界を微かに構築していたから、当時奇妙な哀愁とときめきを感じたランズデール「凍てついた七月」という本のタイトルが浮かんでしまった。こんなに疲れてぼろ雑巾みたいな気分の夜にはぴったりだ。

 

 

 

凍てついた七月。

平凡な禿たおっさんと美女。サスペンス。

見事に敵を倒した最後、平和になった筈が銃声と興奮がこびりついて離れず銃を手放せなくなった自分を自覚する最後。

 

寿命を縮めてもビジネスを離れられない私達と同じか。