Enter The Void

1991, Tokyo. A trader from the country side. Book

ドブネズミの仕事をしていたころ

(この経歴を明かすことにはいささか勇気が要りますが、本日は私がその昔古紙の埃と油に塗れた作業着で働いていた頃に垣間見た世界のことを紹介したいと思います。)

 

頭上遥かに伸びていくベルトコンベアに直径1mを超える野太い紙筒を乗せて、ひたすら砕く作業をしていた時、古いヤードの壊れた天井から木漏れ日の様に降り注ぐ光が地面に散乱したシュレッド状の紙達を照らす光景を美しいなあと感じていました。

 

もう数十年は稼働しているだろう時代遅れのマシンに乗せた丸い紙筒は、呆気ないほど容易く他の紙筒も巻き込んで頭上から転がり落ちてくる。一歩間違えれば大けがに繋がる業務ですが、私は静寂の中で誠実に淡々と動き続けるマシンと向き合う不思議な幸せを感じていました。

 

破砕された紙管は煮ても焼いても食えない固い代物で、古いマシンの下部を開いて重たい鉄棒を突っ込んでこなしてやらなければすぐに詰まってしました。紙筒を砕く。これだけでもリスキーな重労働ですが、こんな仕事はリサイクル工場の仕事のほんのハシクレに過ぎません。

 

私は本社からの「大卒様」の研修生として工場に送り込まれました。

私が最初に勤めた会社は製紙の原料として古紙を売り買いすることを比較的メインの業務にしていた会社でした。夢あふれる世間知らずの新卒生の頃は、商社マンとして紙業に携われることを誇らしく思っていましたが、入社して徐々に直面する現実は自尊心の柔い傷つきを伴うもので、「どうやら私達は(それなりに自分のことも信じてきたのに)ごみ屋さんに入社してしまった」という事実です。

 

 

「女の子を現場に送るなんて!」と反対する声がでたことは言うまでもありません。工場の社員はみんな脛に傷のある刺青の似合いそうなアニキ達で、体育会の過酷な夏合宿を超えてきた私でも本当についていけないかも知れないと思うほどに現場の仕事は過酷でした。

 

絶え間なく運び込まれてくる廃材を降ろして、回収して、時には分別までしなければならない…今だからこそ正直に言えますが、私は自分のことを本当に「ドブネズミのようだ」と感じていました。5mを超える紙の山に登って鎌を振り回しながら。

 

当時私は、生まれて初めて女の子への本当に恋らしい恋をしていました。

私が研修に送り込まれた頃に池袋の行きつけのお店がバスツアーを企画していて、私もその子もツアーに参加することが決まっていたので、「来週はあの子に会える」ただそれだけを支えになんとか乗り越えることができたのだと思います。けれど、この自分の仕事を正直に彼女へ伝えるべきか、思わず一瞬躊躇ってしまいそうだったことを覚えています。

 

そのころ、今でも「現場のアニキ」と心のなかで呼んでいる不思議なアニキに出会いました。彼はそのころ入社したばかりで、私達は支え合いながら仕事に馴染んて行きました。アメコミの作家になりたかったという彼は自分のロマンとこだわりを一本気に追いかける人で、ギターがとっても上手でした。洋ゲー、洋楽大好きだった私は彼と趣味がぴったり。当時の私は石油王ではなくロボコップになりたいとほざいていましたが、彼はダースベイダーになりたかったのです。(アニキ「一緒になろうブラザー」…なれねーよ!(笑))

 

将来のことや世間のこと、仕事のこと、アニキたちの車の隣に乗せてもらいながら沢山聞かせてもらいました。

 

驚くべきことに、現場のアニキ達はいくつかの事務仕事に加えて日々の工場の業務を誠実にこなしていました。しかし、作業着を着てコンビニに行くと店員さんの接客がまるっきり違うものになることを知ったのもこの研修がきっかけでした。世間はスーツを着た人間と作業着を着た人間を同列とみなさないのだという事実を、人々のしらけた対応から身をもって知ったのです。

 

おや、まてよ、私の中に疑念が湧きあがりました。

 

 

 

私が所属している工場のアニキ達の仕事っぷりは実に誠実なもので、みんなごくごく普通の人間です。その一方、私が所属している本社では日々のうのうと頭もまともに使わないでスポイルされた人間たちがパソコンをぼーっと眺めている。どうして彼らがありんこの様に扱われなければならないんでしょうか?

 

その時始めて私は世間一般の評価と実態の深い深い乖離を見たのだと思います。そして、その経験が私の物事の見方に大きな影響を与えてくれました。

 

「作業着で通勤して、恥ずかしくないの?」とアニキのうちの一人に聞かれたことがありました。「え~恥ずかしくないです~」と答えました。始めはどうなるかと思った研修も、いつの間にか工場のみんなは私が尊敬する社会人の後ろ姿になっていき、研修が終わることには馴染んだヤードや彼らと別れて全て終わってしまうことがとても寂しく思えたのでした。

 

私が辞める頃になっても工場の人が「あの子に会いたいなあ」と言ってくれていたと聞いた時にはとても嬉しかったです。秘かにできた私達の友情は、くだらないLINE遊びでもしばらく続いていきました。

 

 

「Danさんはジキルとハイドだ。朝は爽やかにいきものがかりとか聞いてそうなのに…でもいい女には秘密がつきものさ!」

 

数々のアニキ語録の中でも、たぶん彼が私はゲイだと気づいたときにくれたこの優しいエールが今でも心の奥に残っています。ちなみにアニキはテレビにでたよって動画を送ってきました。(笑)

 

ね、ほらやっぱり、人生を活躍する人にスーツも作業着もなーんにも関係ないね!

 

 

ダラーんと終る。言いたい事の70%はたぶん言えた。