Enter The Void

1991, Tokyo. A trader from the country side. Book

見返り柳

令和元年、元旦。先ほどまで慌ただしく歩いていた人々の足並みが一気に引いてしまった寂しい駅構内に立ち尽くしているような、不思議な心持になっております。

頭痛が痛いし、寒いが寒いし。朝からなにも食べていない。冷蔵庫にはなにもない。おー、やってらんねー。

 

温泉くさい体で布団に潜り込んで「売春島」を読んでいると、益々その不可思議な気持ちが強まる。私がこの真っ白な編集画面に慌ただしく書き連ねてきた数々の愚かなジョーク、感傷、日常。そして、書かれているその内容そのもの、すなわち人生というものの欠片。私の二〇一九年度の喧騒と過ち…。

 

そういった賑やかな足並みがサーっと引いてしまった心の構内に一人、こうして筆者だけ取り残されている。再び、白紙。そんなことに気づいた日だった。元旦なのに。

ほんならまっさらな気持ちで始めてやるか。そうしよう。

 

 

近頃はあれこれ本を読んでいるけれど、海外文学と並行して風俗関係の本を読むことが多い。大正時代の花魁の手記は特に印象的だった。当時の花魁が置かれていた不遇な境遇と売春の斡旋から収益に至るまでの仕組みは居ぬ畜生にも劣るもので、決して繰り返されてはならない。けれど、そこに描かれた煌びやかな癒しと慰めとエクスタシーの数々は、今の私が喉から手が出るほど欲しいもので、花魁の抱擁を切望し過ぎて悶絶しました。花魁から「わたしのひと」と呼ばれた過ぎて、普通に枕を濡らしましたからね。(石油王予備軍の身分ではあまりに危険現実は残酷)こういう時こそ毎日メカニックな図面を相手にしているわっちの豊か過ぎるイマジネーション・スキルを活かして布団を美女に変えて眠りにつくしかありませんね。

  

…しかし実際のところ、その時代の変態キモ客たちも花魁に会いた過ぎて震えるあまり辻斬りになっちゃって斬首刑になったり、挙句花魁もそいつに惚れてしまってそいつの墓の前で自害しちゃったりしてたらしいですよ。こういった史実は夢の花魁サービスを利用できたところで我々の幸福度は上がらないという素晴らしい証明ですので、隣の芝を羨むのはよすことにしましょう。

 

 

それにしても、一連の読書が私の中に眠っていたにっちもさっちもいかない二十八年分のこんがらがった糸の累積を自覚させてくれたのは確かだ。それをリセットするにはどうやら一度ド派手に爆破するしかないようだし、私の中にも自分の殻を破りたいというあの衝動が湧きあがってきているものらしい。なんにせよ、純度の高いフィジカルコンタクトだからこそできること、むしろそれにしかできない仕事ってあるんだな。知らなかった、と驚かされたのであります。

 

私は見返り柳で振り返る。

化粧っけもなく、重たいリュックを背負ったズボン姿のレディである今日。

おっさんの様に銭湯を巡って生きている今日。

 

そこに楽園はあるのかしら?