Enter The Void

1991, Tokyo. A trader from the country side. Book

哀しみすら幸せへ変える力

来る日曜日の夕刻。緊張の絶頂で迎えた私の第二回目の読書会が終わりました。

初回は勢いと思い付きでファミレスで緩く開催したものですから、今回こそが私の「第一回目」という気持ちでした。当日キャンセルなく七名もの方が集まってくださり、笑顔の見える会になって終了後も参加者さん同士が繋がって下さって、「自分に本当にできた!」!というありがたさ、嬉しさで一杯でした。

 

しかし、その反面嫌な問題もありました。

一つはショッキングな程にマナーの悪い子供たちとその両親の一瞬のぶしつけな好奇のまなざし。かなきり声。(流石は我が場末!ゲーセンから出てこないでください!)これは予想外だった!まさかあのような美しいお店で…。南無…。申し訳なかった…。

 

そしてもう一つは、開催後に別の会の主催者さんに呼び止められたことです。

 

この後時間はありますか?と言うので三十分ほどならとお答えすると、「誘ったのはこっちなので店は決めていいですよ、」と。

正直は話、初対面から非常に印象の悪い方だったので今後起こりうることを多少予測して気乗りしないままカフェに入ったのですが、始まったのはやはりありがちな詮索の質問責めと”ご助言”らしきコメントでした。終始「会で聞いたら迷惑になると思って(これなら迷惑にならないでしょう、褒めて)」と言い訳を繰り返しておりましたが、私はその無神経さに呆れて疲れ果てていました。私の第一回の会が、なんとか終わった矢先ですよ。

 

どなたかも存じ上げない方に、「ご自身が尋ねたかったから」とこちらとの距離感や意思、情緒の一切をかえりみずに尋問、競合調査をされてあれこれ言われてはたまりません。このような方との接点はまったくもってマイナスであり不要です。

 

しかし、イチ主催者として。望んでいただける限りは、今後もどうぞ自由に申し込んでくださいという思いです。私は攻撃的、露骨に無神経etc...な方でもない限り、なるべく公平にどっしりと両腕を広げていたいと思っています。仲良しクラブの友達候補として、参加してくださる方を好みで制限する意図はありません。もちろん、かのような方とは個人的なつながりの一切はごめんですけどね。(笑)

 

 

次回のテーマを涙、悲嘆にしたのですが、帰り道にふっと唐突につながりました。何故このテーマにしたのか。

というのも、私には涙を、悲しみを受け止めてくれる場所がありません。会社は私を戦士にして人間にしてくれるかも知れませんが、それは恐らく時間制限つきともいえる無理な戦いでもあり、到底戦場を降りてからの本来のことをさらけ出す場所とは遠いのです。

 

だからきっと私は、「弱さ」と思える齟齬や挫折すら語り合うことでふっと賢さに変えてしまう、そんな読書会を築きたかったのでしょう。そのことに思い当たりました。

 

そこでもうひとつ思い出すことがあります。

 

私はストリップが大好きでしたが、ストリップのお客さんになることがどうしてもできなくて悲しんだ過去があります。ひとつひとつのステージの眩しさは言うまでもなく、今でも踊り子さん達のことは大好きです。このことと、実際にそこで活躍していた人たちの素晴らしさは全く別だということを強調した上で、少しだけ続けます。何故ならうまく言えないのですが、私が今回のテーマを選らんだことと上記の体験は無関係とは思えないのです。

 

誰かが涙を流して弱さをさらけだす、弱さを受け止められている場所で、誰かが「優しい」とまで呼んだ場所で、私は腕を組んで首をひねるエイリアンのままでした。どうしても自分が全身で感じてる謎、違和感、抵抗を変えることはできませんでした。子猫の中のゴリラとしか言いようがありません。我ながら素晴らしい例え。何故なら美しい子猫が悪いと誰が言えますか?ゴリラもいいんです。

 

更にデリケートな話題になりますが、私は、「推しは尊い」という言葉も「応援」という言葉も今では大嫌いです。他国に比べて神をもたなったこの国で、同じ人間であるはずの「アイドル」を神の様に扱う姿勢には賛同することができません。

そして、反対に自分の欲望と行為を「応援」と信じ込む姿勢にも恐ろしさを感じます。酷くなると、彼らは応援を「頑張る」と言い出します。まるで義務か仕事の様に、そのことが必要とされていると信じて疑わないかの様に、「頑張る」というのです。

 

怖い。

それは相手の時間も、自分の時間と人生すら激しく損なうことだと思うから。

 

私がストリップ劇場を愛していた間、誰かの応援をしていると思ったことは一度もありません。ただただ大好きだから通っていました。これからもそういう気持ちで、ただ愛だけをもって、観に行ければ良いと思っています。

 

なんだか大きく話が飛びましたが、きっとこのことは私の喉元に刺さった小骨で、いつか言葉にしないと先へは進めないことだったかと思います。

 

 

思えば何故なんだろう?何故だったんだろう?

みんなで時に楽しく、真剣に語り合いながら、それを考え合う。

支え合える読書会でありたいな。それが哀しみすら幸せへ変える力だと思います。