Enter The Void

1991, Tokyo. A trader from the country side. Book

Dear Ladies,

迫りくる台風の不安を免れたと思いきや、わたくし個人の頭上にずんぐりと渦巻く低気圧が停滞している様…。書き方を改革すべし!と火がついたは良いが、いくつか保持しているツールのどれをどう使って書いていくべきかすっかり分からなくなってしまった今日この頃です。ノートにこつこつ書いていくのが楽しくなっちゃって、もうずっとこのままブログは放置しても良いかなと思ってしまったり…。

 

昨年の今頃はチーバクンで一人満員電車に酒ボケの怠い頭と体を押し込んで、一刻一刻と減っていく自由時間の砂時計に追われて、毎日「読みたい・書きたい」の相反する欲望に引き裂かれながらこの白い編集画面に向かうことを生きがいとしていたのだから、このギャップには我ながら驚く。しみじみ思い返してみると、かるくついてゆかれない。コロナをいいことにこの世の無情の極み様な欠陥住宅を解約し(カタルシス!!!)、田んぼと芸術の町に帰って半年が経つ。

 

打って変わって溢れるゆとりのせいで、時々田んぼの真ん中で星を見ながら寂しくなっちゃうくらいの毎日。横を見ると、うすぼんやりと公共浴場のあかりが見える。ネオン。銭湯。ストリップ。ときぞーくー。そのどれでもない。公園の真ん前、池の向こうで輝くなんちゃって金閣寺みたいな綺麗な社屋も。ない。ストロングゼロって苦くて不味いな。あんなの、よく飲んでたな…。若くて、暇だったんだなあ。

 

あの頃と違って、私を追いかけるものは私自身の人生と将来への葛藤の外のなにものでもない。月曜日も翌日の朝も怖くない。だって9時にパソコンつければいいんだから。自由にあふれている。あんなにも寂寞と小さく限られていた私の自由の砂時計は、テレワークで巨大化したのだ。マジで本読み放題。あんた読み過ぎちゃう?キモイわーGeekやわーきっつーって女性から線を引かれそうなくらい読んでいる。

 

女性と言えば、社内で最初にDear Ladies,と書かれたメールを受け取った時「ガイシまぢCool」って大喜びした日が懐かしい。だけど今日、タイトルバーにDear Ladies, と打ち込んだのは、そのタイトルで何か書くことがあった気がしたからだ。そこにいたでしょ?と話しかけたくなるような、いつかの、過去の、誰かの、何かが。

 

しかし、結局なんの書き方の変化もなく、ただ個人的な独り言を書き散らかすだけの更新になってしまった。私がDear Ladies,を使うには、まだまだ早かったかな。Hi Ladies,でじゅうぶんだ。所要時間にじゅっぷん。読書会の企画と発信が待っている。さよならのとき。どうか死なないことだけ祈っていてくれたまえ。

祈り続けるロザリオ

私達の春は秋に始まる。期末。

 

人々は片足をついてロザリオと共にマリアへ祈りを捧げ、紫外線が大地を襲い、地中海を煌めかせる。国中を覆いつくす磔刑のイエス像。勢いよく揺れるバスのなかで思いおもいに車窓を見つめる人々の、穏やかな、されど途上国特有のどこか無気力な疲れた横顔。人々の祈りを永遠に受け止め続ける教会の中で、座り尽くすしかできなかった頃…どんなにうらびれた商店も遊園地より物珍しく、楽しかった。私の足は今も夢を追って出た先に巡り合ったふたつの国のかけ合わせでできている。

 

金木犀の香りが漂う頃になると、私も新地へパスポートを握りしめて乗り込む前の嵐の前の静けさを思い出す。時は経ち、またひとつ始まっては終わっていく。繰り返す出会いと別れの中で、錆びて動かなくなってしまう心のハンドル。「さよならも言う価値が無かった」と己の贋作を悔やむ度に、硬くなっていくハートの鎧に手をこまねいて年をとっていく。繰り返す失望は、少しずつ、私達を独り立ちさせて、そして遂に、誰の手も恋しいと思わなくなる…。

 

それでも、心のなかで消えないで燃えている小さな情熱がある。あの日と変わらない。

微かな炎を必死に扇ぐと、みるみる大きくなっていく。あなたは大人になって忘れていった。都会で厳しく戦ううちに、高層ビルの景色に馴染んで忘れていった。アルコールと路地裏のネオンに迷い込んで忘れていった。あなたはあなたを忘れそうになっていたんだ。もう決して忘れないで、自分を蹂躙するのはいつだって自分自身だということ。

あなたには誰にも譲れないgiftがある。あなたにしか水をやれない、冒険のgiftをもっているんだから。きっと大丈夫。だから思い出して、勢いよくこれからの未来を歩いていってね。まるで夜明けなんて来ないように思える日々にだって、今日までに過ごした一歩一歩がそばにいる。あの日のまま引き出しで眠っているお守りのロザリオ。彼女は今日も、この不幸な国から彼方を呼んで祈り続けている。

 

牙などありません

ふんだんにネタが詰まった濃い日常、喉に台風でも詰まったかの様に胸いっぱいに思い悩む日々を過ごしている時に限って、そもそも無い牙を完全に抜かれた様に何も書けなくなります。最も言語化の必要に迫られている時こそ、ソワソワとこの真っ白な画面に向かってはまた閉じる以外何もできなくなってしまう。

 

私は今、これからどのように書いていくべきか、アレコレ悩んでいます。人と人との縁を映し出すように増えてはまた減っているこのブログのアクセス数を見ていると、このような流れ者の書き方を続けることは少々虚しく。また、いつか私の作品を読むことを楽しみに待っていてくれている友達の顔も浮かびます。いずれにせよ、変わるときです。

 

なので、これから少しずつ、ここで意地悪な仕返しと穏やかな恩返しをしようと思っています。時には皮肉の刃を、時には愛のジョークを。傷つけて良いのがお前だけだと思うなよ、世間さんよ、とばかりに、悪を醜き幼きを暴いて切り捨て御免。殺します。ハンムラビ法典ですよ。誰よりも強いパンチ力で生きるのです。

 

 

丑三つ時の反論

 

そんな風に頭の電気配線がこんがらがって心の骨折をして修理がつかないでいるもののひとつのなかに、私が大好きだったものがある。それはストリップだ。

 

 

私が劇場へ行けなくなって一年間経ち、その内容を初めて言葉にしようと試みた時の情けない記事に反論してみることを、丑三つ時に思いつきました。そうすれば少しはズタズタのストーリーラインがきれいになるのではないか、という成長のない期待も込めて高等遊民(テレワークの民)はこれを書いております。

 

Business Menの鉄則らしく結論から言えば。

あなたが切望していた美しい起承転結。納得できる分かりやすい物語は、一年後の私も持っていません。がっかりしましたか?We are on the same page!です。(こんな寂しいタイミングでこのセリフ言われたくないよね。)

 

厳しい日差しを浴びて背後に伸びていく影を眺めたとき、あなたは劇場さんと己の影の行き先が永遠に交わらないことに気づきました。(これは祖国と私の関係にも通じます。)すっと伸びていく劇場さんの影を横目に、あなたの影は方向性もなくしっちゃかめっちゃか。あなたはずっとその断絶を深く悲しんでいたのです。しかし、結局「三角」をしているあなたは「丸」にはなれません。

 

あなたが一年前にも自覚していたように、悲しいけどあなたには才能がないのです。どうしたって三角は丸になれません。いずれにせよ、丸のふりを続けることにも限界がくるでしょう。そのことを痛いほど自覚しているからこそ、大好きだった場所に居続けることに挫折して、続けることができないままでいるのです。あなたが「不幸な顔をしたファンなら辞する」と足をすくませていること、私は間違っていると思いません。

 

あなたが子供のころから克服できない意地っ張り。そういう極端な潔さ。ずっともっていてください。米国発の会社で、似たような仲間に出会うから。三角なら、素敵な三角を目指してください。丸になれなかったことをいつまでも引きずらない三角でいてください。あなた以外の誰があなたの形を決めて、世間に提示するのですか?それはあなたの人生の仕事です。

 

あなたはこの一年の間に私生活と仕事の整備を進め、まるで見たことの無かった木々や花なんかもちょっとだけ歩道に植え始めて、相変わらずその横目で大好きだった人たちを眺めている…そんな暮らしを送っています。でも、ひとつだけ胸を張ってください。あなたは分からなさを引き受けて、ちゃんと宝石のような気持ちは心に締まって生きています。それは、私が私であることの孤独と責任、痛みを同時に引き受けたて歩き出したということだから、胸を張れないはずがありません。あなたは丸になれなかった三角のまま、それなりの形に流れ着くのではないか、と期待を込めながら、ちゃんと好きでいますよ。

 

そして、オンラインで盛り上がっているストリップ万葉集に集まる素敵な優しい唄の数々を見て、あなたは再び深々と気づきます。この世界と自分は完全に断絶しているということ。そこに集まる人々がもっている綺麗で優しい物語。そこに僅かでも重なるものを、あなたはやはり持っていなかったのだということ。

 

それでもやっぱり、あなたの揺ぎ無い「好き」に対して、そんなことは無力だということもね。そうしてみると、なにが「好き」を活かして殺すのか、良くも悪くも私は分かりません。「好き」というのは、燃料尽きてもただそこにある、ただ純粋な心の反射のようなものなのかも知れませんね。命絶えるまで?消そうと思って消せる類のものではないことは確かです。だからこそ、時に厄介なのかも知れませんが…。

 

分からないままでいていいよ、分かりやすくする言葉を紡ぐなんて、もう止めよう。

それはあなたが最も忌み嫌っている嘘、幻なんだから。どう?これで納得?少しは成長したと思わない?

 

不二子もハニーも真っ蒼

「不二子もハニーも真っ蒼~♪噂で変わったと聞いてはいたけど~♪」

 

で始まるイジワルな曲が好きだった。

聞いていると何故か不思議と好きな子の顔が浮かんだものだった。

 

「不二子もハニーも真っ蒼」のその一言だけで、詞の中の「彼女」のがダイナミックな姿が一発でイメージできる。キリンジの皮肉屋な天才っぷりを感じてしまう。「メスとコスメ」は、全身を改造して美しいサイボーグになって現れた元カノに他人事の様に「その昔よりもすっごくきれいだぜ」「ああなればいい 君はなればいい 君のなりたい”本当”になればいい」と告げる。残酷な曲だ。キリンジは絶妙に捻くれてる。腹の底から捻くれていて、毒蛇みたいな歌詞だ。なのに洒落てて、いっつも三島由紀夫もひれ伏しちゃうレヴェルで一文にすべてが詰まっていて、上手いんだ。

 

… なんでこの曲を聞くとあの子の顔が浮かぶんだろう、と部活へ向かう前の学食でぼんやりしていた気がするけれど、ある日その子と二人で出かけた時に「誰にも言ってないんだけど実は変えたの」とそっと教えてくれたんだっけ。

 

 

「変じゃないよね?わからないよね?」

 

 

私の世界で一番可愛い大好きな女の子、君が変なわけがない!と思いながらチキンカツをゆっくり食べていた。思えばうら若き乙女たちが話し込む為にわざわざとんかつ屋を選ぶなんて、意味不明で笑える。スタバじゃねーのかよ。彼女は所謂芸人的なポジションで男女から愛されてからかわれていたけれど、私には背の高い王子様のような、猫背でナイーブなお姫様だった。(内心。「今度あの子をブスって言ったらお前を殺すからな。」)故障したかたわもの同士、優しく分かり合っていたね。

 

こうして若い日のことを振り返ってみると、面白くてウィットの効いている女性のことを、頼もしく「セクシーな人だ」と感じるのは昔からのことらしい。昨年私が惹かれた女の子もまた、1分おきに面白かったものだ。そうだ、背中が丸い人を見ると何故かぎゅっとしたくなるのも、昔から…。いわゆる「好みのタイプ」ができないな~思っていたけど、面白い女性のことがとても大好きなのは間違いない気がする。私の中にある頑固な石の様な硬さが、磁石の様に彼女たちに惹きつけられて、ふにゃふにゃに緩んでしまったせいなのかも知れない。

 

「メスとコスメ」の女の子との思い出のレイクタウンのとんかつやも、時代の波にかき消されて今じゃ良く分からないお店に成り代わっているだろう。

 

 

 

…導入です。

 

 

私の職場の近くにアホで無駄にエリートでクソッたれな外国人共のはきだめがある。週に5回、ないし7回。家族も仕事も忘れて「よろちくび」と言いながらジンを飲む。彼らが知り合うのはジェット機よりも早い。どんなnationality, colorであろうと、Hiの後は流ちょうだ。(ただし、日本人を除いて…。)最近はコロナの影響で、プロレス技の様に肘でお互いを小突き合う様に握手を交わしている。しょうもない、永遠のいたずら少年たち。私もまたその一人だろう。

 

それでも彼らは、私の目にはとてもスマートに映る。日英両語を上手くかけた親父ギャグを披露しあって、ヌードの写真を見ながら「I wanna fuck her」と叫びだし、その次の瞬間政治の話をする。上手い。途轍もなく議論が上手い。そんなフラットさが、肩の力を抜いて生きる術を知っている賢さが、たまらなく格好よく見える。彼等の煙の匂いを隣でかぎながら、「あ、ロック座の匂い!」と思っていた。 ストリップの匂いは煙草の匂い。彼らは、私が実は彼らの百倍おっぱい星人であることを、知らない。

No

怒りを表現することだけの為にこの真っ白な画面を用いることは初めてかも知れない。

 

頭では所詮己の上司・会社はその程度と分かっていても、空気を入れてパンパンに膨らませたところでパチンっと針で刺すような真似をされれば100年の恋も醒めてしまう。人の気持ちと覚悟をもてあそぶのも大概にせよ。一夜経って、抑え込んできた怒りが修復不可能なレベルまで膨らんでしまっていることに気が付いた。絶対にこんなことは許さないぞ~。

 

上司はすぐにでも異動できる、あなたが辞めてしまうのならすぐにでも異動にする、と言うのだが、そうじゃないだろう。そもそも私が望んでもいないポジションの候補にしてぶーぶー好き勝手やってきたのは会社の方だ。その経緯を無視して、私がいい加減にしろ!勝手に空気を入れて膨らましておいて、刺すな!と言ったら「あなたが主役になりたいとわがまま言うのなら聞いてあげますよ」とばかりに異動させられるなんて。「立候補したのはYouだ」とされるのは、物凄く納得いかないだろう。

 

なんだか要らぬ戦い、ステージに気づけば踊りあげさせられている感じがする。バカヤロー。繰り返し仄めかされては空気を入れられ、「客先に行ってこい!」なんて無茶ぶりまでされてきて、この無計画なにんじんレースもいい加減にしろ。

 

ところで私は同時にこてこての日系のお客様にもブチ切れている。書けば書くほど、愚痴れば愚痴るほどに虚しくなっていくのは分かっているのだけれど、この奇妙な現象は日本に特有であることに気づき、このカルチャーのアカン具合を新しい視点で愚痴れそうな気がしたので続けてみる。誤解しないで欲しいが私はその辺に転がっている売れない小石の様なものでエリートの正反対に位置付けられる。そこのところは勘違いしておりませんので、ヨロシクお願い申し上げます…悲哀…。

 

兎に角仕事に不慣れで知識、英語力、ハンドリング能力のすべてに欠けるお客様と半年接している。何度資料を作って返信してもそれを読めない、知識がないせいで永遠にやりとりが進まない。3つ答えると2個抜けるか忘れられてしまう。100歳の御老人を相手にしているかのような仕事が続いていた。

 

兎に角彼らは一方的だ。

 

仕様書は最初に送り付けましたので一切の値上げは認めません★齟齬は認めません★そんな感じ。自分は何も理解できない割に、要求ばかりは高く他責的。コミュニケーション無しに進んでいける案件はこの世に存在しないのにも関わらず、なにをどうしたらこんな風になってしまうのか…買い手が買うべき製品内容を分かっていないなんて、信じられない。上司が言うには、親切な日系ばかり相手にしているとどうしても取引先はお客様に対してへへぇ~とひれ伏すものだと勘違いをし、すべてオートマチックにやってもらえるもの、と誤解をしてしまうようだ。

 

それが今日、彼も進まない仕事に遂に業を煮やしたのか「この半年間のやりとりはなんだったのでしょう」とブチ切れてきた。「そういう対応ではなくて、合った製品を探してください!」と、何故か今回に限ってキレているところを見ると、おじいちゃんは感情的に書いてしまったのだと思う。満たす必要のない要求は満たす必要がないことを説明する。それで充分であることを自ら認める内容を書きつつ…今回もこれまで同様の対応でクリアしていけばつつがなく終わるにも関わらず…合った製品を探してください!と矛盾だらけの要求をしている。ボケてるなら引退しろよ。我々うんざりだよ…となじりたくなってしまうが、恐らく、彼は感情的に納得がいかないのだ。しかし、世界のどこに彼についてきてくれる人がいるだろう。断言するが、いない。まず言語の問題で土俵にも乗れない。

 

しかし、私が最も不思議に思うのはこの先だ。

 

そもそも彼、弊社に発注書を送ってきてないのだ。つまり、注文書が切られていない状況で尋常ならざるコミットを求めてきているのである。私達は彼に対してなんの約束もない。もしも文句があるのなら、御不満なら、別に他社様におとなしく発注していればいいのだ。それがこのようなやりとりを続けているのは、えばっている彼らが他に取引先がいない、助けてくれる人がいない、という証拠なのである。

 

なぜ?!それならなぜいばりちらせるの?!

 

一般的に日本以外の国では売り手が強い。

ライセンスがないと取引できなかったり、嫌な仕事は平気で断る。本当に秒。無視されるだけ。売ってもらうために粘り強い交渉が必要なときもある。

日本人の精神論・主張を外国人相手にそのまま伝えたら頭がおかしいと思われてしまうから、間に入っている商社はなかなかストレスフルで大変なのだ。

 

しかし、矛盾しつつブチ切れるおっさんを殺しそうになってみて、一言。

ああ、こういう日本人って凄く甘えてるんだな。我儘って甘えだよな。

 

今日は兎に角愚痴りました。

 

あしたから、リセット、したいけど、むりかな。これは、しばらくげんきになるのはむりかもしれない。心身をげんきにたもちたいけど。こんどばかりはほんまにだめかも。だめなままたいしょくしてもおどろかねえな…おこってるからねわたし…。

 

やつらは私を許さない

今日もやり場のない拳の先を見つめる人たちがいるのだろう。

肌の黒い人かも知れない。黄色い人かも知れない。女性かも知れない。なんだか虚しく憤った気持ちでこれを書いている。みんなが拳を振り上げたところで、本当にその鉄槌を受けるべき人間には言葉は届かず、傷つく必要のない人の自尊心が傷ついて躓いてしまうのかも知れない。私達の言葉の石は狙ったところに当たらない。思いもよらなかった人の心にいつの間にか当たって、傷をつける。恨まれるフェミニストたち。

 

このネット社会が少し嫌になる気持ちがした。

 

この国で伊藤詩織さんが戦い続けることは、想像を絶するほど大変なことだ。

何故こんなにも虐めをする側は傲慢で無神経なんだろう。嫉妬深くて、弱々しくて、自分も傷ついて今にも倒れてしまいそうな世間の波が、男たちが、「傷ついた」と声をあげることを許さない。差別なんて無いと、背の小さな男たちが石を投げる。傷ついたのは俺の方だ、でも俺たちは小さくなんてない、貧しくなんてない、でも助けられるべきは俺たちだ…矛盾した苛立ちの中、石を投げる。

 

 

もう目が痛くなるほど見てきた光景だ。

 

男女の問題だけじゃない。私はもうこのイジメの構造に傷つきたくないんだと思う。

でもこうして改めて落胆して吐き気を催しているということは、まだどこかで期待していたということなんだろうか?誰に?何に?どの国に?この日本に?

 

しゅるしゅると振り上げた拳を力なく降ろしてしまうような、そんな気持ちになっている夜です。海外志向のみなさま、ご認識の通り、わたくしたちにはこの国に居場所はありませんよ。教えてくださいよ、いつ、誰にあなたの言葉が届いたって言うんですか?

私達の知見、言葉、すべて、彼等には無意味でございますよ。もう、沈むに任せておきなさいよ…たまにこんなことを吐き捨てたくなりますけど、いかがでしょうか。

 

分かっちゃいるけど、生きる度に心でざらつく、この国との摩擦。

ときどき負けそうになります。

 

…そんな中、昨日の読書会でオープンな時間を共有できたこと、差別について優しくお話できたことが、とても私の支えになっています。ちゃんと私達が認め合って支え合える可能性。双方が苦しくない、傷つけあわずに共生できる可能性。

 

参加者のみなさんから頂いた一筋の光を、私は今なんとか握っています。