Enter The Void

1991, Tokyo. A trader from the country side. Book

丑三つ時の反論

 

そんな風に頭の電気配線がこんがらがって心の骨折をして修理がつかないでいるもののひとつのなかに、私が大好きだったものがある。それはストリップだ。

 

 

私が劇場へ行けなくなって一年間経ち、その内容を初めて言葉にしようと試みた時の情けない記事に反論してみることを、丑三つ時に思いつきました。そうすれば少しはズタズタのストーリーラインがきれいになるのではないか、という成長のない期待も込めて高等遊民(テレワークの民)はこれを書いております。

 

Business Menの鉄則らしく結論から言えば。

あなたが切望していた美しい起承転結。納得できる分かりやすい物語は、一年後の私も持っていません。がっかりしましたか?We are on the same page!です。(こんな寂しいタイミングでこのセリフ言われたくないよね。)

 

厳しい日差しを浴びて背後に伸びていく影を眺めたとき、あなたは劇場さんと己の影の行き先が永遠に交わらないことに気づきました。(これは祖国と私の関係にも通じます。)すっと伸びていく劇場さんの影を横目に、あなたの影は方向性もなくしっちゃかめっちゃか。あなたはずっとその断絶を深く悲しんでいたのです。しかし、結局「三角」をしているあなたは「丸」にはなれません。

 

あなたが一年前にも自覚していたように、悲しいけどあなたには才能がないのです。どうしたって三角は丸になれません。いずれにせよ、丸のふりを続けることにも限界がくるでしょう。そのことを痛いほど自覚しているからこそ、大好きだった場所に居続けることに挫折して、続けることができないままでいるのです。あなたが「不幸な顔をしたファンなら辞する」と足をすくませていること、私は間違っていると思いません。

 

あなたが子供のころから克服できない意地っ張り。そういう極端な潔さ。ずっともっていてください。米国発の会社で、似たような仲間に出会うから。三角なら、素敵な三角を目指してください。丸になれなかったことをいつまでも引きずらない三角でいてください。あなた以外の誰があなたの形を決めて、世間に提示するのですか?それはあなたの人生の仕事です。

 

あなたはこの一年の間に私生活と仕事の整備を進め、まるで見たことの無かった木々や花なんかもちょっとだけ歩道に植え始めて、相変わらずその横目で大好きだった人たちを眺めている…そんな暮らしを送っています。でも、ひとつだけ胸を張ってください。あなたは分からなさを引き受けて、ちゃんと宝石のような気持ちは心に締まって生きています。それは、私が私であることの孤独と責任、痛みを同時に引き受けたて歩き出したということだから、胸を張れないはずがありません。あなたは丸になれなかった三角のまま、それなりの形に流れ着くのではないか、と期待を込めながら、ちゃんと好きでいますよ。

 

そして、オンラインで盛り上がっているストリップ万葉集に集まる素敵な優しい唄の数々を見て、あなたは再び深々と気づきます。この世界と自分は完全に断絶しているということ。そこに集まる人々がもっている綺麗で優しい物語。そこに僅かでも重なるものを、あなたはやはり持っていなかったのだということ。

 

それでもやっぱり、あなたの揺ぎ無い「好き」に対して、そんなことは無力だということもね。そうしてみると、なにが「好き」を活かして殺すのか、良くも悪くも私は分かりません。「好き」というのは、燃料尽きてもただそこにある、ただ純粋な心の反射のようなものなのかも知れませんね。命絶えるまで?消そうと思って消せる類のものではないことは確かです。だからこそ、時に厄介なのかも知れませんが…。

 

分からないままでいていいよ、分かりやすくする言葉を紡ぐなんて、もう止めよう。

それはあなたが最も忌み嫌っている嘘、幻なんだから。どう?これで納得?少しは成長したと思わない?