急に具合が悪くなる

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(右上に眠っているのがその子…)そうだ。急に具合は悪くなる。長年寄り添った自宅の床を遂に踏み抜いてしまった瞬間の様に、または地の底から突如やってくる天災の揺れの様に。

 

先日ぎっくり腰になったと書きましたが、鍼を二回受けても一向に良くならずに困っていました。治療を受けたその場だけは魔法の様に楽になるものの、一晩眠って翌朝パソコンのスイッチを点ける頃にはもう元のぎちぎちに硬直した腰に戻ってしまい、歩く度にまるで自分の体をしならない丸太の様に感じていました。遂に座っているのも辛くなり、学生時代からお世話になっているカイロの医院へ駆け込んだのが月曜日です。

 

先生は「久しぶりだね」と少し体の動きをチェックした後、直ぐに私を仰向けにしました。腰痛が原因で来院したにも関わらず、「お腹から触るね」と治療を始めて暫くすると、「体が疲れてしまっていて、自分で治せなくなっているんだよ。細胞が、血管が、元気がないと、いくら骨をいじっても仕方がない。」としみじみ言われました。

 

二度目のぎっくり腰がこうまで長期化してしまった原因が日々の暮らしにあることは、薄々分かっていました。心と体は切り離せないもの。仕事上であまりにもCriticalな状況が続いたこと、そこを始点に暮らしと健康とハートのバランスが崩れていたこと。恐らく治癒力が弱ってしまう原因は、そこにあったのでしょう。加えて、これはもう性分なので半ば諦めておりますが、常にやりたいことや課題に追われていて、のんびり暇をするということがどうしてもできないのです。私はとてもケチで、常に時間の損得勘定をしています。

  

そうして、痛い腰と共に前回紹介した「病院(ブッククラブ回さん)(まじおすすめ)」を再訪してきました。ゆっくりバランスを取り戻すためのヒントになる書籍を探り、努めて健康をサポートしてくれるような習慣を取り入れ(オイルマッサージと入浴と運動くらいですけど…)られるよう試行錯誤中。

 

buchicoco.hatenablog.com

 

本日、晴れて数週間ぶりに前屈できるようになりました。嬉しくて思わず猫を抱っこした。猫を吸うのに屈んでももう痛くない。猫ちゅっちゅし放題。

 

 

 

しかし、バランスと健康を巡る私の本当の戦いはこれからです。

さて、この先の旅をどう進めたら良いのでしょう?

 

私たちは、ただでさえ年々衰えて醜く弱っていく体を車両として、人生をドライブしていかなければならないのです。私は燃料を入れることも上手くなければ、メンテナンスの技術にも乏しい、半生を心身症と付き合っていながら未だに頼りない運転手であります。これはなんとかしなければ。

 

 

本棚で静かに眠る時代、国境を越えた友人たちを眺める。

生きていくには、彼らの並走が何より欠かせません。

 

ヴァージニア・ウルフの「自分ひとりの部屋」を開きます。かつては女が立ち入ることができなかった名門大学の傍の川辺に座り、ありし日のイギリスの会食の姿を想像するウルフ。博物館の書庫にこもり、自分と、女たちに降りかかる運命(「女は奴隷の様に家に使えなさい。財産は不要です。」)の理不尽の謎を紐解いていくウルフ。泣いたり笑ったり、百面相をしながら彼女の言葉に癒されていく。

 

「それに加えて、わたしの才能、ささやかではあっても、あの教授にとって貴重であったのと同様、わたしにとっても使わないのは死に等しいその才能が、ただ朽ち果てていく、わたし自身もわたしの魂もいっしょに朽ち果てていくという気がしていました。そしてこれからの全部は、まるで病が春に咲き誇る花々を侵食していき、やがては樹木を芯まで駄目にしてしまうのに等しいと感じられたのでした。」

 

 

 

この言葉ほど、今の私の迷いを代弁してくれる言葉はないと感じました。

米国の会社にたどり着き、「必要だ」「性別なんて関係ない一緒に上を目指そう」とありがたくも言っていただいて尚、私は上記でウルフが言ったような苦しみ、男たちの為に自分を捧げ、存在し切れない苦しみから逃げることができずにいました。

 

つまり、今の私は魂もひどく不健康だったのです。

 

 

 

ここでいったん、体に戻りましょう。 

オンラインで読書会を開催するようになって一年が経ちました。度々顔を出して頂いている印象深い参加者様の一人に、医療従事者の年配の女性がおります。彼女が初めて拙会で紹介してくれた本が、私にとって生涯忘れられない一冊となりました。

 

www.shobunsha.co.jp

 

 「急に具合が悪くなる」は、乳がんと多発転移に侵された哲学者の宮野真生子さんと、その友人の人類学者である磯野真穂さんの間で交わされた往復書簡として構成されています。二人は出会って間もない筈なのに、まるで古来の親友の様にお互いの核を共有しあい、リスペクトし合っているように思われます。そのリスペクトと、恐らくは両名の知的な体力ゆえに、死がそこに迫っていながらも反目し合うような題について最後まで対話し続けます。

 

宮野さんは偶然性について説いた九鬼周造の研究者ですが、「腑に落とす必要なんてない。受け入れられない、理不尽だともがけばいい。むしろ、わが身に降りかかった出来事を分かる・分かりやすいことに落とし込んで流されてしまうことの方が、問題だ」と言っています。これが凄く面白かった。

 

 

 「分からなさの前で、自分を取り返す為に、私たちは問わなければならない。これはなんなのだ、と。安易な物語に取り込まれない立脚点を、分からないことに怒り、それを問う力を、自分の人生を取り戻す強さを、哲学は私に与えてくれたのです」

 

 

もう、良いですよね。心と体が繋がっていたって、私たちはそのどちらも支配できやしません。本質的には勝手に弱るし、勝手に元気になるし、勝手に死んでくんだと思うよ。努力はできるだろうけどね。でも、決して言いなりになりゃしない。ガンよ消えろと言えば消えてくれるなら、そりゃどんなにいいか。だから、宮野さんの「腑に落とす必要なんてない、分からないと怒っていい、受けれなくていい。」という言葉は、凄く、凄く、力強く響いてくる。偶然が織りなしている世界で、偶然出会ってしまった状況を、腑に落としてなんてやらない。こんなの分からないよ!と問い続けて怒る力を、勇気を、この本は私に分けてくれました。

 

 

 

あれ。何だ今日の記事。そろそろ推敲というスキルを身に着けたい。