Enter The Void

最近はジャズとちひろさんに夢中です。

Sanctuary

f:id:sh2105858:20211114212837j:plain

内定が出た2018年の3月。4月から港区で始まる勤務の為に特急で部屋を探す羽目になった。

 

駆け込んだ不動産屋は天下の荒川区は日暮里(...)で、「夜のお仕事の方、フリーターの方の住居探し相談乗ります!」と手書きの案内が載っていた。ちっこい事務所に入るとヤクザがかけてそうなサングラス風の眼鏡をかけた兄ちゃんが出てきて、「これどうっすか?!安いっすよ?!」「内見なんて急な転勤や遠くの大学に通う子はしないで決めちゃうもんですよ」との口車に載せられ、面倒くさがりな私は即日契約してしまったのだがそれが運の尽きだった。Philippinesを経験したのだから日本のどんな物件でも耐えられると完全に高を括っていたのです…。

 

そうしてMad cityのはずれにある家電家具つき36000円のレオ〇レスのアパートが、私の夢のマイルームになったのですが、住んでいる人は絶賛引きこもりだったり、インド人だったりベトナム人だったり、女装が趣味のサラリーマンだったり、長年「お隣さんは畑」という環境下でのんびり暮らしてきた私には辛過ぎる混沌とした都会の闇に放り込まれる日々…。

 

本当はバングアップにしてしまいたい前髪を下して、当時は「一般的な社会人のコスプレをしなければ村八分になってしまう」と思い込んでレースのスカートを履いて通勤していました。入社二日目に生まれて始めて痴漢に遭い、アメリカ人からはネタみたいなセクハラが始まる新入社員の日々。仕事も大半の言語が英語に切り替わってしまったから八時間耐久TOEIC状態。おっかさん東京は怖いところだぁ。毎日泣きそうであった。そんな日々の苦しさに、一時はストリップ劇場のライトに絡めとられたり、楽園(TIPSY...)に行ってはっちゃけたり、青くさい喜びにすがっていたというわけだ。週二で読書会にも参加していたしLanguage exchangeもしていたので、清く美しい文化会活動によってこれらの罪は清められたと思っている。

 

(後日、アメリカの会社でそんな服装やジェンダーの気遣いは一切無用だったことが判明。好きに通勤しているうちに、はるちゃんは〇〇君(ゲイ男性)より絶対男らしい!はるお兄ちゃん!と言われるまでオープンに…みんな優しくて大人だから直接聞いこないのが救い。)

 

それにしてもそのレオ〇の老朽化は凄まじく、洗濯機を入れるとズドンっ!て音がして施設が揺れるのよ。最初その音を女装の似合う隣人からの壁ドンかと思って管理会社に相談したくらい。後日レオパレスがボロ過ぎて揺れてることに気づいて二重に衝撃を受けた。水道管がネズミに噛まれて漏水したしさ。悲惨エピソードの嵐で書いてて遠い目になりそう。

 

そんなMad cityで暮らしていた頃、二日に一回は記事を書いていたと思う。今日わたくしが言いたかったのは書くことについてだったのにレオ〇レス告発記のようになってしまった。もう続ける体力がない。最近少し日々に余裕が戻ってきて、もう一度始めた英語学習関連についてももうちょっと分かりやすい記事を書いてみようかと思ったりしていたので。思えば新人時代、今のように大々的に公開していないブログを書き続ける動機がどこにあったのか?不思議に思って思い出を振り返りだしてしまった。実際問題、当時のブログを偶~に読んでくれていたのも出版社出身のオドリコさんくらいだったと思う。彼女はチラシを隅々読んでしまうレベルの活字中毒だったそうで、そこに文字があるとどうしても読んでしまうらしい。

 

ネオンに囲まれて道に迷って過ごしていた当時の寂しさも愉しさもひっくるめて、なんだかんだ青春らしい時間だったな、と懐かしく振り返る最近。特に下町と中央線沿いを中心に随分歩き回ったけれど、個人的にはもう十分というくらい東京寄りの暮らしを謳歌することができたしね。

 

明日も港区にドナドナされていくけど、ま、せいぜい頑張るか。

うぁ~~いやだ~~行きたくない~~あっ、まって、大丈夫…ついに週末は沖縄…沖縄が待ってる…。

 

すんごい意味ナシ落ちナシだけど、ブログってそんなもんで良いんじゃねーかと思い始めました。最早書くのが好きな自分の日々の愉しみの為にやっております・・。