ロリータって、まさか"あの"?
地元の図書館で一際存在感を放っていたタイトル。見るからに重厚な本を見つけてからいざ手に取るまでには、長い年数がかかりました。それを読み解けるほど、成熟していなかったから。
タイトルの元になったナボコフのロリータは、大体どの本屋に行ってもドストエフスキーやカミュと並べられている不朽の作品ですね。
小児性愛者の卑劣漢ハンバートと、最初こそ彼を以て遊びながらも彼に保護されるしかない状況に陥ったことで不幸にも彼から逃れられず、搾取されるロリータの滑稽で残酷な物語...。
子どもにはませたところも狡いところもあって当然で、大人はそんな振る舞いを笑って無視してやるべきなのだろう。が、パワーバランスを利用してロリータを我が物にしようとする小児性愛者のハンバートの前では、そんなロリータの奔放な振る舞いは女から男に対する誘惑に映っているのです。
だから彼の中ではフライパンで焼かれて苦しいのはあくまでも自分であって、逃げ道も選択肢もない子どものロリータではないのですね。The 加害者心理って感じだよね〜。
おい、日本の腐れロリコン共、全員しっかり読んでおけ、ムショに入る前にな、と言いたくなるような筆圧のある一冊だ。
だからこそ、「テヘランでロリータを読む」というタイトルは当時かなりのインパクトをもって迫ってきました。
まさか、イスラム圏であのロリータを読む?!?!
いつ読み終えたのか気にかかって読書メーターで調べてみたら、丁度留学に出る二週間前でした。わーなんて良い時期に読んだんだろう、それ以上の時期なんてなかったはず!幸運だったな、としみじみ。
それは頑固なイスラム社会でヴェールの着用を拒否した教授と女性たちの読書会の物語で、メンバーの救済は遥かなる大国への留学と結びついていくから....。(それがやるせなくもあるんだけど。)
......そんなイチオシ本「テヘランでロリータを読む」がこの度文庫化されましたので騙されたと思って読んでみて下さいませ。(長い)
私の知る限り、日本でお菓子みたいなパッケージのライトなフェミ本が流行りだしたのは、韓国文学やフェミが盛んに入ってきた数年前からだと思う。シスターフッドとかいう言葉が馴染んできたのも恐らく割と最近で、この国でそんな現象あるの...?違う世界線で生きてる...?って思ってた。
近年は日本のエキセントリックな左翼とかフェミもどきみたいな人たちがもう嫌で嫌で仕方がなくて。そうか日本で出てくる次世代のメインを狙うオルタナって、やっぱりこの程度の人たちなのかなあ、みたいなね。
大したアクセス数ないからってもうスンゴい自由過ぎる言い方してますけど。汗
そんなdesperateな気分の中でも、テヘランでロリータを読むの女性たちは日本にも勝る強い抑圧のなかで戦っていて、凄くパワーと勇気をくれる。と、思うなあ。
ああ...明日になったら上司がエボシ様になってますように....。そして二十四時間ネコをちゅちゅちゅしていたい....。