Enter The Void

最近はジャズとちひろさんに夢中です。

マイ・ブロークン・ユー

ヘンな時間に飲んでしまった珈琲の所為か、昨晩は中々眠れずに寝返りを繰り返していました。何故か不意に表紙に一目惚れして買ってしまった漫画のことを思い出して、結局私は朝までこのセンセーショナルな作品に接着されてしまいました。本日は、少々長くなりますが壊れたマリコと「メンヘラ」等についてぼやぼや書いてみます。

 

「マイ・ブロークン・マリコ」は物凄く話題になった作品で、映画にもなっているので、ご覧になった方も大勢いらっしゃるかも知れませんね。

 

物語は、うらぶれた定食屋で主人公の「シイちゃん」が麺を啜っているところからはじまります。流れていたテレビのニュースで、突然26歳の親友の「マリコ」が自殺したことを知るのです。シイちゃんの”壊れたマリコ”は、父親から壮絶な虐待を受けて育った女の子でした。酒を買いに行かされ、家事をしろと殴られて遊びに行くことも許されず、性的な暴力まで受けて、彼女は育ちます。

 

そしてシイちゃんは、子どものころからずっと彼女の人生に寄り添ってきた、ちょっとグレた煙草をふかした女の子。ふたりは学校でたくさん手紙を交換して、孤独な衛星同士が引き合うように仲良くしてきました。そのシイちゃんも、成人した今はブラック企業で働いていて、相変わらず孤独で、どこかしなびた日常を送っています。煙草とお酒で管を巻く、ちょっとおじさんみたいな女の子なんですね。対してマリコは、美しく蠱惑的な、投げやりな男性関係を繰り返す所謂「メンヘラ」へ成長していました。

 

突然マリコの自殺を知ったシイちゃんは、今度こそマリコを守ろうと、マリコを傷つけた家族から遺灰を奪い取ることにします。そして、遺灰を抱きしめてマリコが昔行きたがっていた海へ今度こそマリコを連れていくことするのです。その過程で、思い出がシイちゃんの脳裏にフラッシュバックして、マリコとシイちゃんの過去が明らかになってゆくのですが…。

 

もう強ーーー烈に辛い作品で、単行本一冊のコンパクトさなのですが、変な話、感動してしまう程にひとつひとつのシーン・物語の帰結がしっかりリンクするように描かれています…。そして、絵に目を見張るような表現力、説得力があります。。一度読んだら心をつかんで離しません。

 

シイちゃんは、子供の頃から怖くても必死にマリコを守ろうとする子です。大人になった今では、マリコを殴る彼氏をフライパンでぶん殴って部屋から追い出してくれる。しかし、そうしてシイちゃんが必死にマリコを守っても、壊れたマリコはまた悪い男のところに戻ってしまうんですよね。「シイちゃんが本気で怒ったり心配してくれることが嬉しいから」「それだけ」と…。思わずゾッとしてしまうシーンです。

 

シイちゃんは、過激な言動・行動を繰り返すマリコに翻弄され過ぎることもなく、ちょっと口をへの字にしながらもいつもマリコを愛して守ってくれます。強くて、そしてちょっと鈍感な、いや、敏感過ぎない「彼氏役」の人物として描かれているように思えます。けれど、物語が進む過程で、実はシイちゃんがどれだけマリコを思っていたか明らかになっていくんですよね。遺灰に向かってマリコに言えなかった沢山の気持ちを叫ぶのが、本当に切なく苦しいです。彼女の記憶の中の幼いマリコ、本当のマリコは、無邪気なかわいい女の子です。その笑顔はシイちゃんにだけ向けられたもの。

 

成人してからのマリコのような人物って、悲しいことにみんな馴染みがあるというか…人生で誰しも一度は遭遇したことのある困った女性のように思えます。「私の事好きになってくれる人ならだれでもいいかなーなんちゃって」なんて言いながら、リストカットの跡を晒しながら頬杖をつく。うん…凄いリアルです…。私の少ないメンヘラ図鑑から3人くらい顔が浮かんできました…。そういう無鉄砲な言動で、周りの人も傷つけているんだけどね。

 

ですので、マリコのような壊されてしまった存在は、本当に苦しいことですが、個人的にもフィクション・ファンタジーと切り捨て難いものがありました。すぐ隣にいらっしゃると言って良いのかも知れません。けれど、シイちゃんだけは違いますよね。壊れたマリコのすぐ傍で、つかず離れず、自分の方が壊れることもなく愛し続けられるシイちゃんのようなナイト様は、この現実にはなかなかいないでしょう。シイちゃんの存在こそが、辛い現実を描いた物語にある救い、ファンタジーになっているように思います。

 

私は思わず、マリコが「じゃあ今度は私がシイちゃんを幸せにするね」と言ってあげてくれたら…一緒に死のうではなく、一緒に生きてねと言ってあげてくれていたら…と思ってしまいます。逆にシイちゃんが、一緒に生きよう!と叫んでいたら、結末は違ったのかしら。いや、同じだったのかも知れません。ブロークン・マリコは、きっとそんなことは出来ないくらい傷ついてしまっていたのだから。

 

こんなにも心に響く作品を世に送ってくださってありがとうと思います。

 

追記:アマプラにマリコの映画あがってました!おすすめできへんとだけ...。

 

 

虚空を見つめるマリコの姿が、恐ろしくも美しい一枚です。

 

 

マリコを読みながら思い出していたのですが、私の身近に「メンヘラと言う言葉が大嫌い」というメンヘラ(きつい言い方ですみません)が何人かいらっしゃいました。これには一理も二理もあると思います。実際に精神疾患に苦しんでいる方は大勢いらっしゃるはずですので、病気の方をメンヘラという形容詞に押し込んでしまうのは、とーーっても良くないですよね。

 

とはいえ、上記の彼女たちに限って言えば、「こんなにも可哀想で大問題を抱えているあたしのことを俗称で呼ぶなちゃんと気の毒な病人としてお姫様の様に扱え!」と言ってるようにしか思えなかったのですが、これは意地悪過ぎる書き方でしょうか。自分の望むときに、自分の望むかたちでヨシヨシしてもらえないと爆発するモンスター。弱物でいたいのだけど、本当は誰よりも自分のことが大好きで仕方がないなのです。私は正直、そんな人を好きになることはできない。

 

…しかしそもそも、どこからが「メンヘラ」で、どこからが「精神疾患」かなんて、明確に、公正に、線を引けるものなんでしょうかね?me firstで他人を振り回せばメンヘラと呼ばれて嫌煙されてしまうもの。しかし、そういうテロリストみたいな人たちにも実際に精神疾患があったなら…?うーん、なるほどきっとそんな簡単な話じゃなかったんだな、と思う最近です。

 

思えば私は大学で臨床心理学科にいたはずなのですが、何も役に立ってはいませんね…なんか当時は一生懸命楽しくやってたはずなんだけどw 全部忘れちゃったなあ。

 

内心では就職するよりも院に行きたかったのですが、あの時一度就職しよう!と決めて本当~~~~に良かった!と思います。だって、このきつい理屈っぽい性格でカウンセラーなんて目指してしまった日には、もう目もあてられません…。寄り添うどころか、切って捨てたようなことを平気で言うに決まっている…。かつてカウンセラーを目指していたときがあったのかと思うと、自分でも信じられないというか、正気かーーー!!自分の性格分かってるーーー!?とビンタしたくなりますね。

 

けれど、変な話、その性格が英語の文化であったり、諸外国と取引する仕事では活きてくるところもあるようですから、人生不思議なものです…。