Enter The Void

最近はジャズとちひろさんに夢中です。

非生産的

「非生産的」でも、好き好き日記ばかり書いていても、ジムにだけは熱心に通っています。最近はインスタグラムで「51歳!びまじょ!」「30kgダイエットで大変身!」みたいな人たちをチラチラ見ながら密かに感化されています。(笑)

私も劇的ビフォーアフター動画でも掲載してインフルエンサーに転職しようかしら、と一瞬妄想する。これがおススメのプロテイーンです!これが効き目最高のレチノールに脱毛器!…無理ですね。瓦解。まあ、そこまでいかなくとも、どんな形でも何かしらの成果を投稿したいなあとは思う。

 

先週は、内心戦々恐々としながら評価面談の準備を付け焼刃でこなしました。毎月毎月の目標の達成度をマジメに記録していなかったのです。前日に急いで振り返ってカチャカチャ形だけ整えておく。ゲスの極み。しかし、いざ緊張しながら面談の席に着くと、拍子抜けするほどあっさり順調だね、この項目もやってくれてるね、これからも誰々の「おもり」を宜しくお願いします!と褒められて終わってしまいました。客観的でインタラクティブな採点の為にあるシートも、結局は日頃の心象に収束されてしまうものらしい。良くも悪くも。今回は偶々救われたけど、その逆のこともあるでしょう。

 

元気に、にこにこ、円滑にコミュニケーションをとること。たぶんそれだけで、同じ仕事をした場合でも、まるっきり異なるスタンプが人間から人間へ押しつけられことになります。酷いもんだね。昼の私の仮面がなんぼのものだか知りませんが、夜の私はこうしてしっかり疲れきっていて、陰鬱なのですから…。朝日の訪れを恐れるほど苦しい日常じゃなくとも、しっかり人生は土の味になるんだなと思う。まあ、ゲイの先輩と、私の、チーム「非生産的」は傍目にはとても順調らしい。良いこった。

 

せっかくなので、非生産的な話をぐだぐだ続けましょう。

 

先日、私が子どものころに住んでいた町にあったラーメン屋さんをふっと思い出しました。検索してみると、あんなド田舎にある古い小さな家屋にも関わらず、評判が良いようで嬉しくなります。当時若かった夫婦が今も頑張ってらっしゃるんだなあ。随分行ってないけれど、久しぶりに行ってみようかと気が向く。

 

しかし、思い出すのは厭々習わせられていた卓球、水泳、ボーイスカウト、錆びた公民館。ギター。忌々しい防具の匂いや、足の豆。思い出は数えきれないほどありますが、何故かここにきて私が唐突に思い出したことは、一人称のこと。

 

なんでこんな大切なこと忘れていたんだろう!ってこと、ありますよね。私は子どもの頃に必死に一人称を「わたし」にするように努めた日のことを急に思い出したのでした。え?逆に、それまでなんて言ってたんでしょうね?俺とか僕だった記憶はないのに…。おれっちだったらどうしよう…せめてわっちが良いナ…。

 

それが何歳の頃で、具体的にどんな場面で苦労していたのか、もう今では分かりません。確か小学2年生くらいだったと思うけど…兎に角、「わたし」が苦しかった当時の違和感だけが、鮮明によみがえってきます。私は自分をトランスジェンダーだと思って生きてきたわけではなかったので、これには凄くショック、できれば忘れていたかった記憶でした…。あ、心配しないでくださいね、何か過去に傷ついてい悩んでいるというニュアンスで投稿したわけじゃないんですよ。正直、自分でも興味深かった!(笑)

 

なんであれ、今では正反対の色が混じり合って、それでも「僕」ではなく「私」を名乗この形になってしまったわけで、今更分かりやすいどちらか一方だけの存在になることはできません。「本当は最初から僕だったのかも…」と思うことも、正直最初はぞっとしたけど、なかなか悪くない妄想です。命に対する根本的な惨めさや後ろ暗さは、引き受けて昇華していくしかないのだと思う。厄介な、まったく勝機が見えない宿題だ。それでも、僅かにでも、32歳の自分に期待したいと思います。